"Rayuela ― 想像上の日記"シリーズ

 こういうことだ。フォト・ドキュメンタリーは彼女の外側の世界にカメラを向けたものだが、そこには、ギッゾーニ自身の恐れと望みが写り込んでいる。一方、パーソナル・ワークは、彼女自身の内面にカメラを向けたものだが、それはまた、誰か他者の恐怖と願望でもある、と。

 実際、彼女はここ数年、女性の問題に焦点を当てて名声を確立してきているが、その初期の代表的な作品の一つである拒食症シリーズはもちろん、現在彼女がエネルギーを注いでいるFGM(女性器切除)を扱ったアンカット・プロジェクトも、彼女自身が拒食症を通して経験した社会に対する恐怖や願望から来ているのである。拒食症シリーズ以後は、ある種、ストーリーの方から彼女にアクセスしてきているかのようだとも言う。

 ただ、自分の写真にレッテルを貼られることを、ギッゾーニ自身は好ましく思っていない。なぜなら無慈悲にレッテルを貼られる経験をし、また、そこから逃れることが彼女自身の今までの人生だったからだ。それは、冒頭に掲げた「孔雀としてのセルフポートレイト」をはじめとする彼女のパーソナル・シリーズ、"Rayuela ― 想像上の日記"にもよく現れているかもしれない。作品は、非常に本能的に産み出されたもの、また彼女自身のセラピーとしても撮られている。だから、解釈は観る側に任せたい、と彼女はそう言った。

Note: 拒食症シリーズは彼女のインスタグラムには組み込まれていない。

今回ご紹介したInstagramフォトグラファー:
Simona Ghizzoni @simona.ghizzoni

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