そして、首相談話が「戦前の日本の正当化」に触れつつ挙げる「胸に刻み続ける」内容のつながらなさが、日本にエールを送る者の間にもやもや感を増す。武力に頼ったことが間違いだった、なるほど。だとすれば、武力を振いまわっているアメリカに寄り添って行動する日本は、何を反省したのか? 日本の戦前の行動は「理あり」だが間違っていたのは「武力」という手段だけだ、というのであれば、間違った方向に行かないようにするためにはどうすればよかったのか? 外交が大事、というが、その外交で日本は周辺国とうまく行っているのか?
そのことこそが、少なくともこれまで中東諸国が一番知りたいことだった。追い詰められ不公正と考える立場を強いられてなお、武力を使わずにそれを克服するための知恵。それを知りさえすれば、中東のさまざまなアクターは戦争に依拠しなくても不公正、疎外感を克服できるはずなのだから、日本は第二次大戦で得たはずのその「知恵」を教えてくれるべきだと、中東諸国の知識人は期待してきた。
だが、戦後70年間、日本からその「知恵」は伝わってこなかった。そのあげくに出てきた「談話」には、戦前の行為の弁解、正当化はあっても、いまだ不公正と大国の圧力に悩まされている国々が納得のいく「知恵」はない。
だからこそ、今回談話への中東知識人たちの反応が、気になったのだ。ロクに反応がないということは、それが正しい答えではないとすぐさま看取ったからか、それともすでに日本に対して何の期待もしなくなったからか。「首相談話は日本の戦争行為を糊塗している」(カタール紙)、「戦争での日本の侵略行為よりも原爆の被害者としての立場ばかり強調している」(ジャジーラ放送)、「安倍首相は実際のところ秩序を乱す者」(トルコ紙)など、欧米のリベラルメディアの報道と似たような批判論調が続いている。それが主流だとすれば、中東社会は日本に対して、現状の変更を望んでいない。
安倍政権の「戦後レジームからの脱却」姿勢を明確に表した首相談話の歴史認識は、「不公正と外国からの圧力を跳ね返すのに、やり方さえ間違わなきゃ日本がアジア、中東諸国を「勇気づけ」ていくことは、アリだ」という意識を、国内外に再燃させるだろうか。その意味で、「談話」こそが戦前への回帰の決定的瞬間になるのかもしれないと、危惧している。