また、「バスオタク」も一定数存在するらしい。例えばあるとき、定刻どおりにバスが発車すると、一眼レフカメラでフロントガラス越しの風景や、運転席付近の撮影を開始した20代男性がいたそうだ。

当然ながら、シャッター音は気になり集中が削がれるが、乗客を撮影しているわけではないので注意もできない。そんななか、ひととおり撮影を終えた彼が席に座ったまま「このバスのエンジン、『ニュー4HK1型』ですよね?」と話しかけてきたという。オタクにありがちな話である。

安全運転のため、運転士は緊急時を除き、お客に話しかけられても答えない決まりになっているという。そこで「走行中なので少々お待ちください」と茶を濁したそうだが、それで静かになるような相手でもないようで。


その後も、男性は、
「このバスの降車ボタンはオージ製だよな、きっと。で、放送機器の機材はクラリオン製のCA-8000型だろうなあ......」
 などとぶつぶつ呟いている。私に話しかけているのか、ひとり言なのかわからない。申し訳ないが、無視させてもらおう。(70ページより)

かように望むべきお客さんばかりではないだけに、なかなかの精神労働であることは想像がつく。しかも実際の運転業務に関するトラブルのみならず、著者は社内でマウントを取ろうとする先輩社員に目をつけられ、パワハラを受けたりもする。

「先生は、先生をしていたときよりイキイキしてるね」

その一方で、信じがたいような出来事も起こる。印象的だったのは、始発バス停から乗ってきたお客からじっと見つめられ続けたというエピソードだ。

そんなことになれば、「イチャモンをつけられるのではないか」と不安を感じたとしても無理はないだろう。しかも車内マイクで「右へ曲がります。ご注意ください」などとアナウンスするたび、その彼は身を乗り出してまた見つめるというのだ。そりゃーますます不安にもなるわなあと思わざるを得ないが、結果は意外なものだった。

バスが終点のバス停に到着すると、この路線は後払いであるため、お客は料金を払って前扉から降りていくことになる。予想どおり彼は最後まで降りず、たったひとりになったところで向かってきた。


「あの......」
 案の定、話しかけてきた。だがイチャモンにしてはやさしい声だ。
「以前、先生をしていませんでしたか?」
 その言葉を聞いた瞬間、私の顔は一気に赤くなった。ということは......。
「ええ、まあ、一応」
 モゴモゴ答えると、彼は顔を輝かして、
「そうですよね! T高校で社会を教えていましたよね!」
 なんと彼は、私がバスの運転士になる前に働いていた高校の教え子だった。(142ページより)

「私は教師時代、自分の言葉が生徒に届いていないと感じていた」
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