──世界には、音楽と共に豊かな生活を送っている人々も多いと思いますが。

まず、いつも羨ましく思うのは、韓国に行った時に、韓国人は本当に音楽的というか、日本人よりもはるかに歌うこととか、音楽で表現することが好きだし上手ですよね。いろいろな感情表現がぜんぶ音楽表現に出てきますね。

ストレートに表現するから、世界的に見ると彼らのほうが表現は豊かですよ。だから何も知らないアメリカ人が見たら、あっちのほうに引かれるんじゃないかな。

──沖縄などはどうですか?

沖縄の民謡酒場は、ずいぶんはやっていたな。驚愕するよね。おじいちゃん、おばあちゃんまで何世代も、夜中まで踊っているから、びっくりしちゃうよ。その感じはブラジルなんかもそう。ブラジルは、町単位でカーニバルの時にせりを出すじゃないですか。だから、町単位で練習するでっかい体育館みたいな広場があって、歩いているとすごい音がするから、音に引き込まれて入って行ったらものすごいんですよ。練習している音の圧力、エネルギーが。技術というよりも、音の粒が何万個も重なって、ぐわーっと押し寄せてくるそのエネルギーはすごいですね。

──そういうのは「伝統」によるものなんでしょうか。

コミュニティーに根差しているんでしょうね。日常的なことなのかな。彼らにとっては、回覧板回すのと同じようなことなのかもしれませんね。

あとやっぱり、「音楽が救い」というのはあんまり言いたくないけれど、そういう役割というのは絶対にありますね、音楽は。僕のオペラ『LIFE』の中で、(ドイツの振付師・舞踏家の)ピナ・バウシュが、ロマの人たちのことを語っていて「辛い時に、泣くんじゃなくて歌え、って、お母さんに言われた」というのがあって。「Sing!」と。今のガザでも歌っているかもしれない。

──個人的な経験でも、「音楽」というレベル以前に、音を出すのが身体に響いて心地いい、と感じることがあります。

悦(よろこ)ぶ、というのは何か快感物質が出ているんだと思うんだけれど。それは、別に概念的に悦んでいるわけじゃなくて、たぶんもっと生物として、細胞レベルでうれしいということなのかもしれないね。だからさっきの僕の話も、気持ちいい響きを聴いたり、自分で作ったりした時は快感物質のようなもの、脳内麻薬のようなものが出ているんでしょう。

僕の持論でもありますが、よいコンサートほど眠たくなりますよ、必ず。だから、寝られないようなコンサートはダメです。

音楽は「一種の救い」
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