<私は最近、「君が代」の「君」は天皇ではないという解釈があることを知った。日本では大声で斉唱しない人が多いが、こんな国歌こそ平和の祭典にふさわしい>

北京冬季オリンピックが閉幕した。日本の最初の金メダルは、表彰台で跳び上がって喜んだスキージャンプの小林陵侑。

中国にもファンが多いフィギュアスケートの羽生結弦が4位に終わったのは残念だったが、五輪精神を体現したチャレンジは中国でも感動をもって伝えられた。

興奮と感動を与えてくれたスポーツの祭典。自国の国旗の下、国歌が流れる瞬間は、見る者全ての胸を熱くしたことだろう。

実際、国歌は多かれ少なかれ自国に対する帰属意識や誇りを強めるものだ。オリンピックのみならず、大規模なスポーツ大会には国歌が不可欠。

試合前に有名歌手が独唱することもあれば、サッカーなど代表チームの試合では双方の国歌が演奏され、五輪ではメダルの授与式で優勝選手の国歌が流される。

ただ、そんな中にあっても、日本では歌わない選手が比較的多い。そのため選手たちが「君が代」を斉唱するかどうかが議論になったこともあった。

今回の冬季五輪ではそんな話題は出なかったが、個人的にその点も気にして見ていた私としては、ジャンプの小林選手が「君が代」を口ずさんでいたことが印象に残っている。

幼稚園から国歌である「義勇軍行進曲」を教え込まれる中国では、何かの行事の際にはみな当然のように大声で歌う。一方、日本人の多くはスポーツ大会の場、あるいは学校の行事で国歌を大声で斉唱しない。

理由は明白。もちろん私も知っている。

古今和歌集の和歌から歌詞を取った「君が代」は、その「君」が天皇を指すとされ、日本教職員組合(日教組)を中心とするリベラル派から長年にわたり、天皇崇拝の歌である、戦後は国民主権となったのだから公教育の場に持ち込むべきではない、斉唱を強制すれば軍国主義の戦前と同じになる──などとして排斥されてきた。

そうした経緯もあって、「君が代」は多くの日本人にとって、なにやら縁遠く、面倒くさい歌になってしまったらしい。実際、歌う機会がほとんどないまま大人になった人も少なくないのではないか。

また、歴史的経緯から沖縄出身の人は特に歌いたがらないと聞いたこともある。

中国・フランスの国歌は闘志を奮い立たせるような歌詞
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