──作品に隠れたヒントを探したがる人についてはどう思う?

観客が目を凝らして見たくなるような映画、そうした積極的な見方に応えられるような映画を作りたい。ヒントを隠しておくというより、作品のテーマをより奥深いものにする情報を、しっかり見れば分かる所に埋め込んでいると言うべきかな。

民間伝承をテーマにしたホラー映画は、行き着く先が分かっている。この映画の楽しい部分は――そんなものが本当にあればだけど――物語としての驚きではなく、既に分かっている結末に向かうプロセスだ。

──あなたは自分の作品について、民間伝承や神話の「ごった煮」のようなものだと言っている。さまざまな要素を混ぜ合わせることで、その出どころを追うことにあまり意味がなくなるような形に変えるスタイルだ。神話自体を綿密に調べるより、こうした手法を好むのはなぜ?

大きな理由は、調査と創作のバランスを保ちたいということ。例えば『ヘレディタリー』に悪魔を登場させたくなかったのは、ほかの作品でやり尽くされているからだ。それに私はユダヤ人であってキリスト教徒ではないから、悪魔を恐れる理由もなかった。

物語をさらに力強いものにして、確固たる根拠を持たせるために何ができるか。私にとっては、それが重要なんだ。

──あなたが作品に取り入れた事柄が民間伝承に基づいていることを確認しようと、スウェーデンの文献を調べている人たちがいる。そんなふうに詮索されるのは嫌いなのでは?

面白いんじゃない? そうしたい人には、ちょうどいい材料を提供できていると思う。

たぶん私は、何も見逃すまいとスクリーンを見つめる人々に、それなりの材料を提供したいんだろう。受け身ではなく積極的に映画を見るように、ある意味、観客を「訓練」したい。

──あなたは『ミッドソマー』を、ゆがんだ男女の別れの映画にしたと言っていたが。

前に恋人と別れた後、その体験をテーマに映画を撮りたいと思ったができなかった。本当に落ち込んでいるときは、点を結んで線にして作品化するなんてできない。

それで次の別れが訪れたとき、この経験について1日くらい考えて何もアイデアが浮かばなければ映画にするのはやめようと決めた。そこで考えた結果、フォーク・ホラーというサブジャンルと個人的に経験した別れを組み合わせる方法にたどり着いた。4年前のことだ。

人生を描くことに癒やしを見出す