米IBMが実証したスーパーコンピューターを超える量子コンピューターの優位性、デンマークが推進する「世界最強の商用量子コンピューター」開発──こうした最近の動きが示すように、量子技術は実験段階のブレークスルー(画期的進展)を経て、実用化へ急速に近づいている。

現在のシステムでは克服困難、あるいは取り組むことすら不可能な問題を、量子技術なら解決できると、期待は膨らむ一方だ。その結果、産業や国家安全保障、日常生活が大きく変わる可能性がある。

そもそも量子技術とは何か。その核になるのは、量子力学の法則だ。物質やエネルギーの最小単位の性質を解明する量子力学の分野には、量子が複数の状態を同時に取る「重ね合わせ」や、遠く離れていても緊密に結び付く「もつれ」という不思議な現象が存在する。

かつては抽象的理論にとどまっていた現象が、今や革新的な最先端システムに応用されつつある。例えば、全く新しい方法で情報を処理するコンピューター、前例のない精度で世界を測定するセンサー、実質的に侵入不可能な通信ネットワークだ。

量子技術はどんな未来を形づくるのか。近い将来、目に見える変化が起きそうな分野は5つある。

◇ ◇ ◇

医薬品・材料科学の新発見

薬学研究員の仕事の1つは、不治とされる疾患の新薬開発。可能性を持つ分子は無数にあり、想定できる体内での相互作用もいろいろで、どれが効果的なのかは不確実だ。

一方、材料研究者は輸送に伴う排出量を削減できるより優れたバッテリーや化学物質を開発すべく、膨大な数の原子の組み合わせや比率を調べている。スーパーコンピューターでは選択肢を狭めることはできても、いずれ計算能力の限界が訪れる。

量子コンピューターには、決定的な違いがある。その基本的な情報単位である量子ビットは、従来型コンピューターのビットと異なり、1と0の間の複数の状態に存在することができる。無数の可能性を同時にシミュレーションし、従来システムが現実的な時間枠内でたどり着けないパターンを示すことが可能だ。

創薬のスピードが上がれば、感染症などの流行へのより迅速な対応や個別化医療の実現、未解明の生物学的相互作用の理解につながる。より効率的なエネルギー材料や触媒、合金の開発には、物質の振る舞いの量子シミュレーションが役立つ。

商用量子コンピューターは完全実用化されていないが、開発や設計を変革する可能性は、量子コンピューターと古典的コンピューターを組み合わせた現行手法を見ても明らかだ。

航行・医療・環境分野のセンサー

量子の重ね合わせやもつれを活用する各種の新型センサーは、従来機器が見逃しがちな変化を探知できる。

航行分野では、地球の磁場や重力場のわずかな変動を読み取る能力のおかげで、GPSなしで船舶や航空機を誘導できるようになるだろう。

医療分野では、より高感度で迅速で、体への負担が少ない画像モードによって、診断能力が向上する可能性がある。環境モニタリングでは、地下の微細な変化を追跡して地震活動を早期に警告したり、大気中や水中の微量の汚染物質を極めて高い精度で検出することが可能になりそうだ。

物流や金融の最適化

現代社会が直面する最も困難な課題の多くは、システムの最適化と関連している。億単位の可能性の中から、最善の選択肢を見つけ出さなければならない。最適化問題は極めて複雑で、高度なスーパーコンピューターであっても、効率的な回答を時間内に見つけることが難しい。

問題解決のカギになりそうなのが、量子アルゴリズムだ。

量子の原理を用いて多数の解を同時に探れば、従来手法よりずっと高速に最適解を特定できるだろう。物流会社は交通状況や天候、需要の変化に応じてリアルタイムで配送ルートを調整でき、航空・鉄道分野では、遅延の際に運行計画を自動的に再編成して連鎖反応を防ぐことが可能になる。

電力会社は再生可能エネルギーの発電・蓄電・消費のバランスを、はるかに高い精度で調整できるかもしれない。金融機関の場合、量子コンピューターで無数の市場シナリオを並列評価し、投資ポートフォリオ管理に反映できるだろう。

超安全な通信

セキュリティー分野は、量子技術の影響が最も早く及ぶ可能性のある領域の1つだ。データ通信の安全を守るRSA暗号をはじめ、現行の多くの暗号方式の解読能力の獲得に近づきつつある量子コンピューターは、サイバーセキュリティーにとって大きな脅威だ。

その一方、量子鍵配送(QKD)などの量子通信技術によって、本質的に安全な暗号化通信が実現する可能性もある。

具体的には、金融取引や医療記録、政府・軍レベルの通信が安全なものになるだろう。量子コンピューターによる解読を防ぐ耐量子暗号化は、既に国家安全保障当局にとって戦略的優先課題だ。日常生活の面では、より強固なデジタルプライバシーやID管理システム、サイバー攻撃リスクの減少が期待できる。

AIの進化の加速

AIによる産業変革は既に始まっているが、大規模モデルの訓練・運用には膨大な計算能力が必要だ。

量子アルゴリズムはまだ開発初期段階とはいえ、機械学習を加速させ、AI構造をより効率的に最適化する可能性がある。その結果、AIシステムの学習速度が上がり、文脈理解が深まり、はるかに大規模なデータセット処理が実現するだろう。

人間をより自然に理解するAIアシスタント、ゲノムデータと環境データを即時に統合する医療診断ツール、量子を活用した高速シミュレーションが後押しする科学研究の前進が現実になるかもしれない。

量子技術はもはや理論上の存在ではない。商業的に有望で、大規模展開が可能な技術が今後10年間に誕生するとの楽観的観測は強まっている。世界的投資が膨らみ、研究室外でのプロトタイプ試験が進むなか、「量子の時代」が姿を現し始めている。

各国政府は量子技術を戦略的優先事項に位置付け、産業界は競争力のカギに据える。その波及効果は事実上、あらゆる分野で発生する可能性がある。だからこそ、教育制度や労働力動態、インフラ、統治機構の対応力が問われるべきだ。

量子技術の行き先を形づくるのは、新時代に備えて早期戦略的投資に踏み切り、取り組みを継続する者だ。本格的到来は数年先でも、量子技術の影響はネットワークとデータが支配する世界の隅々に及ぶだろう。

The Conversation

Salil Gunashekar, Senior Research Leader and Deputy Director, Science and Emerging Technology, RAND Europe

Adam Urwick, Analyst, Science and Emerging Technology, RAND Europe

Teodora Chis, Senior Analyst, Science and Emerging Technology, RAND Europe

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

ニューズウィーク日本版 量子コンピューター最前線
2026年9月8日号(9月1日発売)は「量子コンピューター最前線」特集。

夢の「最強計算機」が実用化へカウントダウン。医療・通信・金融・AIはこう変わる

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら
※画像をクリックするとアマゾンに飛びます