結果として街頭に出るのは、名もなき市民たちだ。武器も盾も持たない普通の人々が、不満と要求を掲げて街頭に立つ。そして水平射撃で撃たれる。
殺されているのは、政治家でも武装勢力でもない。日常を生きていた市井の人々である。これは政治闘争というより、国家による市民の処刑に近いと感じる国民がいて当然だろう。
だからこそ多くのイラン人は長年、外国勢力、特にアメリカの軍事介入に淡い期待を抱いてきた。自分たちの国は本来自分たちで変えたい。
しかしそれが不可能なほど統制され、恐怖で縛られている。現在の政治体制は、非常に高度に組織化されていて、一般市民が転覆させることのできるレベルではなくなってしまっている。
外からの力に頼らなければ体制を変えられないという現実は、イラン人にとって大きなジレンマである。外国の介入がその後さらなる不幸をもたらす可能性があることも、多くの人が理解している。それでもなお「このままよりはマシだ」と考えてしまうほど、国民は追い込まれている。
もちろんアメリカの軍事行動が免罪されるわけではない。軍事介入は常に新たな犠牲を生み、正義の名の下で行われた行為が後に深い傷を残してきた歴史を私たちは知っている。それでも今回、イラン国内で一定の支持が生まれてしまっているという事実そのものが、現体制の行き詰まりを雄弁に物語っている。
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