現場の警察官は見て見ぬ振り

こうしたLGBTの人々への明らかな人権侵害の現場には制服姿の警察官がいたものの、傍観しているだけだった。チアンジュール警察の署長は「警察官がいたからこそ安全が確保された」として問題がなかったとの立場を示している。

インドネシアではイスラム法が適用されているスマトラ島北部のアチェ州を除き全国で同性愛の性行為やLGBTの存在は違法ではない。しかし国民の約88%を占めるイスラム教徒の規範や習慣、価値観、モラルが法律より優先されるケースも少なくない。

2017年5月にはゲイパーティーに参加していたゲイ141人が逮捕され、同年10月にはサウナ施設にいたゲイ58人が逮捕される事件も起きている。いずれも反ポルノ法と麻薬取締法違反容疑での逮捕とされているが、人権団体は「LGBTに対する嫌がらせ、性的少数者への迫害だ」と批判している。

大統領も選挙絡みで及び腰

ジョコ・ウィドド大統領はLGBTに関しては静観する姿勢に終始している。背景には2019年に予定される大統領選で再選を目指すうえでイスラム教団体の支持が不可欠という情勢が関係しているという。庶民派のイスラム教徒であるジョコ・ウィドド大統領はイスラム教団体から「イスラム保護に熱心ではない」、といわれない批判を度々受けている。

さらに政権内部には「LGBTの権利保護運動は国外勢力に主導されたもので、インドネシアへの代理戦争だ」(リャクード国防相)「同性愛は染色体の病気であり治療が必要だ」(パンジャイタン政治法務治安担当国防相=2016年2月当時)という強硬派が幅を効かせており、大統領自身が率先してLGBTの人権保護を言いだせる状況にはないのが現実である。

断食月はインドネシア社会全体が「イスラム教あるいはイスラム教徒に忖度していろいろと自主規制」しているのが現実である。

外国人や非イスラム教徒がよく利用するレストランなどは日中、内部で飲食する様子が見えないように白い垂れ幕やカーテンで仕切るのが通常で、同じ職場でも断食中のイスラム教徒がいる場合は、飲食も目立たないところで静かにとるのが「礼儀」とされている。

仕事の効率や勤務時間、勤務態度も全て「断食中」であるとの理由でかなり緩々になるという。インドネシアがテロの度に掲げる「多様性」や「寛容」はあくまで異なる宗教間だけのもので、LGBTのような宗教と関係ない「人としての権利」には無慈悲であるというのが今のインドネシアが直面する大きな課題といえよう。インドネシアのLGBTにとってはこれからも受難の時代が続きそうだ。

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[執筆者] 大塚智彦(ジャーナリスト) PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など
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