ユダヤ系記者やイスラエルの人権活動家も、イスラエルの政策批判を反ユダヤ主義と結びつけるやり方を批判しており、政府批判イコール偏見ではないと強調している。批判を反ユダヤ主義と決めつける言説は弾圧装置の一部であり、世論を慣らして記者殺害と独立報道の抹殺を容認させる役割を果たしている。

アルジャジーラのテントを直撃したミサイルは、そこにいた5人だけを狙ったのではない。市民の「知る権利」と、報道する者が死んでも彼らが残した記録は真実として生き続けるべき、という信念をもミサイルで粉砕したのだ。

もしあらゆる映像や報告、証言が、何かを隠そうとする者を経由してしか届かなくなったら、どうやって事実を知ることができるのか。自分の街でカメラが沈黙し、参加した抗議デモや近所の警察突入、地域の自然災害が起きても、残る映像は当局が承認したものだけだったとしたら。

真実を記録している人々が狩られ、彼らなしでは自分の物語は権力者が作った「事実」の裏に消えてしまうとしたら。

これは想像の話ではない。ガザで記者に向けられている大規模監視や弾圧の手口は、すでに私たち自身の都市や国境、公共空間に存在している。問題は「国内で使われるかどうか」ではなく、「いつ、誰に向けられるか」だ。

記者を守ることは記録を守ること
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