なぜ使わない核兵器を開発し続けたのか

冷戦状態のとき、米ソ両国のとった戦略は「戦わずに核開発を維持する」ことであった。両国とも核兵器の脅威は認識しており、どちらかが核兵器で先制攻撃を仕掛けようものなら核兵器による反撃を受け、自国も甚大な被害を被ってしまうのが明白だった。

だからといって「核軍縮(核開発をしない)」をいう戦略をとると相手からの攻撃に太刀打ちできず、やられてしまう。

つまり、自国が核開発さえしていれば、相手からの核攻撃に対抗できると同時に、優位に立てる可能性まであるのだ。このことから、ひたすら米ソ両国は「核開発を維持しつつ攻撃はしない」という戦略を選択し続けた。こうして世界は、核の脅威におびえながら、半世紀を過ごしていったのである。

アメリカ側がこの戦略をとった背景には、ある数学者の存在がある。ナッシュ均衡の生みの親、ジョン・ナッシュだ。

数学者ジョン・ナッシュは1928年、アメリカのウェストバージニア州で生まれた。14歳のときにフェルマーの伝記に書かれていた内容を自力で証明したことで、数学に興味を持つようになる。

1948年からプリンストン大学の博士課程に進んだナッシュは、2年後に博士号を取得。博士論文のタイトルは『非協力ゲーム』であり、21歳という若さでナッシュ均衡の定義と特性を発表した。

その直後である1950年の夏、ランド研究所というアメリカ軍の組織でナッシュは働くことになった。その組織で研究と勧告を担うことになる。当時の話題の中心は冷戦であり、ナッシュは5年もの間、ゲーム理論の軍事、及び外交戦略への応用研究に従事していた。

ナッシュ均衡から抜け出した世界
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