性別役割にはひねりがあるものの、これがわざとらしい。アルムートが一流シェフとして活躍する一方で、食品会社に務めるトビアスのキャリアは添え物。またトビアスは涙もろく、中盤はほぼ全てのシーンで目に涙をためている。

『この時を生きて』は、何十年か前の映画を見ている気分にさせられる作品だ。「純愛」の描き方はこれこそが正しい恋愛だと訴えているようで、誤解を招く。型破りに見えて、実際には伝統的、いや保守的な映画なのだ。

一風変わったなれそめにも、既視感がある。トビアスは夜中にバスローブを着ただけの格好でコンビニに出かけ、車にはねられる。病院で意識が戻ると向かいに見知らぬ女が座っていて、「私がはねたの」と告白する。それがアルムートだ。

笑いを取ろうとする試みは滑りがちで、全体の悲劇的なトーンから浮いている。

産気づいたアルムートを車に乗せ、トビアスは病院に急ぐが道路は大渋滞。2人は車を降りてガソリンスタンドで買い物をし、そのトイレでアルムートは出産する。やがて救急車で走り去る親子を見て、観客は首をかしげるしかない。「車はどうするの?」

前後にぴっちり縦列駐車した車の間からトビアスが愛車を出そうとする場面は、『オースティン・パワーズ(Austin Powers)』を思わせるどたばたコントだ。

主演2人の演技は素晴らしい
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