教室の防音スタジオにはヤマハ製のグランド・ピアノが鎮座していた。久しぶりに見る憧れの楽器は艶々と黒光りしていて、子供の頃に感じた荘厳さが確かにあった。

ドアを閉める際、ついクセでわずかだけ開けてしまった。警察が急に踏み込んできても取材相手が監禁罪に問われないようにという配慮なのだが、ピアノ教室では音漏れの原因になるので本末転倒というか、俺の自然体はどうしても世間からずれる。

「練習すれば、弾けない曲などありません」

レイコ先生がお辞儀をしながらドアに駆け寄り、ノブをしっかり回して閉めた。ヤクザに拉致監禁された時のように心臓の鼓動が速まった。

〈ピアノを学びたいのに、変態と思われたらまずい!〉

頭が軽くパニクったが、なんとか作り笑顔でごまかした。レイコ先生は白いフリフリのスカートでお嬢様っぽい装いだった。極々薄い香水が相手に対する気遣いを感じさせる。キラキラした印象だが、ピアノを弾くのに邪魔にならないよう、腕や指にはアクセサリーを着けていない。ハキハキした応対のせいかもしれない。

挨拶を交わし、さっそく、一の太刀(たち)を振り下ろす。

「『ダンシング・クイーン』を弾けますか?」

「練習すれば、弾けない曲などありません」

レイコ先生は『エースをねらえ!』のお蝶夫人のように威風堂々と、完璧にレシーブした。いつだったか婦人誌の取材を受けた時、週刊誌の女記者と違って、話し方やたたずまいがウフフ・アハハ過ぎ、意識が遠のいたことがある。レイコ先生も俺が生きている地平にはいない人種だが圧倒的に話しやすい。

「俺でも弾けるんですよね?」

「練習すればどんな曲でも必ず弾けます」

「難しい曲でもですか?」

「ピアノ講師に二言はないわ」


鈴木智彦(すずき・ともひこ)

趣味は料理と自転車(愛車はランドナー)。2018年10月、未経験でピアノを習いはじめる。2019年12月、ピアノ教室主催の発表会に出演し、ABBA『ダンシング・クイーン』を演奏する。著書に『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)、『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)、『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)など多数。溝口敦氏との共著に『教養としてのヤクザ』(小学館新書)がある。

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『ヤクザときどきピアノ』
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1966年、北海道生まれ。日本大学藝術学部写真学科除籍。雑誌・広告カメラマンを経て、ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めたのち、フリーに。現在は週刊誌や実話誌を中心に暴力団関連記事を寄稿する。

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