さまざまな世代が集う共同浴場は島民たちの社交の場

海底水道ができるまでは、給水船で水を運んでいたため、渴水時や時化(しけ)の際には海水が利用されたが、基本的には真水を沸かして使用していた。

台風などで海が荒れると真水の利用は中止されたが、各家庭で真水のかかり湯を自宅から持参し、共同浴場に向かったという。水が貴重な資源であったからこそ、島民全員が節水に取り組んでいたのだ。

1957(昭和32)年に海底水道が開通すると、島では人浴時間のいつでも真水を沸かした風呂に入れるようになった。

個別の風呂があったのは、鉱長社宅の5号棟、職員のクラブハウス(集会・宴会場)の7号棟、旅館の清風荘など、ごく一部に限られていた。1959(昭和34)年に建設された3号棟には、各戸に室内風呂があつた。これは、鉱長社宅以外では島内唯一のアパートだった。

共同浴場は、8号棟の山間にある窓がついた明るい上風呂と、61号棟の地下にあり大人が20人近く入れる広さの下風呂、それから31号棟の地下風呂の他に、60号棟にも共同浴場があった。

共同浴場の入浴料は無料、いつも多くの人で賑わっていた

鉱員とその家族は共同浴場を無料で利用でき、入浴時間は午後3時〜午後8時までと定められていたため、いつも多くの人であふれかえっていた。軍艦島中の人間が、島内で数えるほどしかない風呂に指定された時間内で入るというのだから、風呂の混雑がどれだけのものか想像できる。

ちなみに、住宅棟の浴場は女子風呂の脱衣所のほうが広かった。これは、島内に住んでいる労働者のほとんどが鉱員のため、共同浴場を利用する男性は鉱員以外の高齢者か子どもたちのみだったからだ。

しかし、どれだけ風呂が芋洗い状態であっても島の社交場として重宝されていた。社交場として活用していたのは大人だけでなく子どもたちも同じ。学校帰りに「○時に下風呂に行くよ」などといった約束を交わしていたというエピソードも残っている。

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※当記事は「PRESIDENT Online」からの転載記事です。元記事はこちら
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