こうした誰にもわかる嘘を、国や東電がずっと主張し続けているのは不可解だ。トリチウム水を海洋放出するのは世界中で行われている、という誤魔化しもある。先述のように諸外国の原発から出るトリチウム水は、燃料棒が被膜管に覆われており、冷却水が直接触れているわけではない。この点で核燃料デブリなどに直接触れてしまっている福島第一原発のそれとは決定的な違いがある。
安全性を示したいのであれば、諸外国のそれと無理に比較しなくても、二次処理によってトリチウム以外の核種は十分取り除けているという主張をすれば事足りるはずだ。しかしことさらに「中国でも」「韓国でも」と、事故を起こしていない原発の海洋放出を言挙げるのはなぜなのだろうか。これが詭弁だということは、常に情報収集を怠らない関係者であれば当然理解している。信頼性回復には全く逆効果だろう。
「エリート・パニック」の症状か
それでは、なぜ国や東電はこうまでして海洋放出に固執し、地元関係者や世界の人々の心証を悪くしてまで主張し続けるのだろうか。あくまで仮説だが、その理由は「海洋放出は福島第一の廃炉プロセスのために必要な唯一無二の解決策である」という事実に反するレトリックを誰より自分たち自身が信じたいからではないのか。
海洋放出への反対論は、主として福島原発事故という前例のない人災に対しては、あらゆる不測の事態を想定すべきだという前提に基づいている。それに対して、今回の海洋放出を、海外の原発のトリチウム水放出と混同させ、未だ成功の見通しが立っていないデブリ取り出しについてあたかも直ちに実行可能なように語るのは、それが成り立たなくなれば福島原発事故はもはや自分たちが全貌を把握できる状況にない、ということを認めることになってしまうからではないか。海洋放出を行えてないとデブリ除去ができないというストーリーで、数百トンもあると言われるデブリのうち未だグラム単位の除去すらできていないという現実から目を逸らさせようというわけだ。
アメリカの作家レベッカ・ソルニットは『災害ユートピア』の中で、災害などの緊急事態において、「大衆がパニックを起こすのではないか」とエリートたちがパニックを起こし、情報隠蔽などに走っててしまう現象を「エリート・パニック」と呼ぶ。2011年の東日本大震災の直後には、まさにそのエリート・パニックが見られた。知識人たちはこぞって原発事故の実態を過小評価したのだ。今回の海洋放出への固執も、継続するエリート・パニックの一種と呼べるのかもしれない。