議会制民主主義のもとでは、諸党派はお互いを批判しあい、ときには罵り合う。選挙運動も熾烈を極め、自分の党派を一議席でも増やし、相手の党派を一議席でも少なくすることに尽力する。ときには相手の議席をゼロにしようと支持者に訴えることもある。言論の府である国会でも、ときには文字通り体を張らねばならぬときもある。しかしそれらは全て、相手党派の存在論的な否定ではない。もちろん、ナチ党のような排外主義政党など、絶対的に否定されるべき政党は存在する。だがそのような例外を除けば、議会主義は様々な党派が並立することが前提となったシステムであり、それぞれの党派が持つイデオロギー的な立場の違いを超えた役割分担を受け入れなければ成り立たない。
たとえば与党は政府を形成し国政を担う。野党はそれをチェックし批判する。与党は野党に攻撃の隙を与えないよう公正な政治を行う責任があり、野党は「批判なき政治」すなわち独裁政治にならないように、与党が行う国政をしっかりと監視する責任がある。相手の存在をいったんは認めるからこそ、緊張感が生まれ、責任ある政治が生まれる。
ここでもし、相手を存在論的に否定することが許されるなら、政権与党は強権をもって反対党を弾圧し、反対党は政権与党に対して暴力をもって報復することが肯定されてしまうことになる。したがって議会制民主主義ではルールとして、相手の存在については相互保障する。馬場発言は、その議会制の根源的なルールを破ろうとするものだ。従って、これは「信念」の問題として片づけることはできない。馬場代表、そして日本維新の会の議会制民主主義に対する理解が問われているのだ。
「第2自民党」は詭弁
果たして馬場代表は、こうした議会制民主主義のシステムを理解しているのだろうか。ここで重要なのが、馬場代表がこのとき行った「第2自民党」発言だ。馬場党首は、維新の会を「第2自民党」と定義し、「第1」自民党との「改革合戦」を提示する。維新の会は日本社会の徹底的な改革を訴えており、「改革合戦」というビジョンも、従来の日本の議会制の在り方を変えようとする意図に基づいている。
「第2自民党」という言葉は日本政治に関する議論において。これまでも使われてきた。日本人の多くは保守的なのだから、中道右派と中道左派の政権交代は望めず、政権交代を起こしたければ中道保守同士で行うしかない。すなわち「第2自民党」をつくるしかないというものだ。