ヘイトクライムを通常の犯罪よりも特別に重罪とするのは、そのような偏見や憎悪に基づくマイノリティへの攻撃は次第にエスカレートして、しばしば取り返しのつかない集団殺戮へと発展するケースが歴史上多かったからだ。かつてアメリカではアフリカ系へのリンチが常態化し、ドイツでは言わずと知れたホロコーストがあった。

 

日本には、諸外国のようなヘイトクライムを特別に罰する法律はないが、そうした法律を成立しようという機運は存在している。特に2009年に起きた排外主義団体「在日特権を許さない市民の会」による朝鮮学校襲撃事件以降、ヘイトスピーチ規制と合わせて国会でも具体的な議題として提示されることになった。ヘイトスピーチ解消法は2016年に成立した。しかし、ヘイトクライム罪の立法化は、「表現の自由」をめぐって根強い反対も大きく、結局のところ現在まで実現してはいない。

日本でも深刻なヘイトクライムは起こっている

民族マイノリティに対する虐殺事件は外国の話ではなく、日本でも実際にあった。たとえば1923年の関東大震災時の朝鮮人虐殺だ。「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマを直接のきっかけとして、数千人の朝鮮人が虐殺された。当時日本の植民地支配下にあった朝鮮では民族運動が発展し、1919年には三・一独立運動が起こっている。日本当局は武力をもってこの独立運動を弾圧したが、朝鮮人のこうした動きへの警戒感が、日本政府と日本人の双方にあった。虐殺の背景には、このような恐怖心もあったといわれている。

しかしながら、近年ではこの関東大震災時の朝鮮人虐殺の歴史そのものを否定する動きがある。小池百合子知事は、これまでの都知事が毎年行ってきた朝鮮人犠牲者の追悼式典への追悼文の発送を、5年連続で行わなかった。こうしたヘイトクライムの歴史を否定する動きは、在日コリアンに対する差別扇動を助長することになる。ヘイトクライムのが続く中で、およそ100年前の関東大震災時の悲劇の記憶は、改めて思い出されなければならない。

記憶から受け継がれる教訓

なぜヘイトクライムの記憶の継承が必要なのか。それは、こうした犯罪を行うのが普通のマジョリティであることを確認するためだ。民族差別がエスカレートして放火事件にまで発展すると、犯行の動機や背景が明らかになっていないにもかかわらず、世間やマスコミは決まって犯人の「心理分析」を行おうとする。たとえば犯人は社会から疎外されて鬱屈した気持ちが高まっていたのではないか、家族と問題を抱えていたのではないか、などだ。

他人事ではない
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