概ね社会経験の中でノイズの少ない温室で育ってきた中産階級たる保守派は、「純血なる日本社会の構成員こそが、あるべき日本社会のイデアの基盤となる」と信じている。だから猟奇的な殺人もしくは報道に値する重大犯罪が起こると、「彼らは日本人ではなく韓国籍や中国籍である」という流言飛語を乱舞させる。自らの社会は均質的で、かつ優等生的で、秩序を乱すものなどいない、という世界観が完成しているから、その秩序を乱すものは「反日・非日本人」と呪詛され、排斥の対象になるのだ。
捨て去るしかない「共同体幻想」
LGBT問題は、日本の保守派にとって鬼門である。性的少数者は、日本国籍の日本人である場合が多いが、「あるべき日本社会のイデア」という保守派の理想像を崩す"ノイズ"と彼らには映るからである。彼らは「規律と秩序」を何よりも重視するので、少数派が権利擁護の声を上げようとするのを頑なに許容しない。
そこには、「通常の日本社会構成員は、現状の社会について不満を持たず、かつそれを行動で示すことは無い」という現状翼賛の世界観が支配している。そこから逸脱したものは"反日"認定とすらなり得る。
しかし繰り返すように、「あるべき日本社会のイデア」を強固に唱え、それでいて他者の道徳的素行に極めて厳しく、自身には極めて甘い私生活の紊乱を極めているのもまた日本の保守派の特徴である。こういったダブルスタンダードがまかり通る現状に自浄作用はなく、そこを改めない限りLGBTなど性的少数者をめぐる「理解増進」法案の成立は厳しい。
日本の保守派にはいびつな共同体幻想がある。「君民一体」という言葉に代表されるように、日本社会の構成員はすべて"モデル世帯"に収斂され、共同体と国家のために奉仕するのが当然であり、そこからはみ出たものを排斥する―、という根本的な情念が強い。
しかしこういった、村落共同体的史観は、歴史学者・網野善彦氏によって根本から否定されて数十年が経ち、日本の長い歴史の中での"伝統"といったものを鑑みるとき、「君民一体」とか「共同体」は幻想にすぎず、日本社会の構成員は実に自由であり、所謂"権門"が造った枠外で闊達に生きてきた様が学問的にも実証されている。
戦時統制期に出来上がった「ノイズを排除する」という封建的かつ自己矛盾した社会観を自民党内外の保守派が捨てない限り、LGBTなど性的少数者をめぐる「理解増進」法案は幾ら経っても成立不可能なのではないか。だが、この問題は彼ら保守派の世界観の根底を覆すものだけに、極めて難路かつ難題と言えよう。
※当記事はYahoo!ニュース個人からの転載です。
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