むしろ重要なことは、仮に一時期よい成果をあげても、そのパフォーマンスを維持できなくなった時、「独裁者」のもとでは軌道修正が難しくなることです。実際、「世界の三大独裁者」とも呼べるローマ帝国のカエサル、フランスのナポレオン、ドイツのヒトラーは、いずれも政治的な混乱や停滞を恐れる世論を背景に、一時は絶対的な権力を握りましたが、それぞれが暴走し始めた時、誰も止められなくなりました。その結果、最終的にこの三人はそれぞれ暗殺、遠島、自殺という悲惨な末路をたどりました。

ここまでいかなくとも、ソ連のスターリンや中国の毛沢東の場合、生前には批判を口にすることすら許されませんでしたが、その没後に(直後かどうかはともかく)後任者によって方針が転換されたり、負の歴史が封印されたりしました。

このように悲惨な末路をたどったり、その行いが後の世に否定的に扱われた「独裁者」は、「失敗した独裁者」と呼べるでしょう。

「成功した独裁者」とは

ただし、その一方で、歴史には「成功した独裁者」も登場します。そのうちの一人、ローマ帝国の皇帝セプティミウス・セウェルス(146-211)は、「目指すべき君主像」としてニッコロ・マキアヴェリの『君主論』でも再三言及されています。

軍略と政治的駆け引きに長けたセウェルスの治世、ローマ帝国は現在のイギリスにあたるブリテン島からエジプトやトルコにまで至る広大な版図を安定させ、空前の繁栄を極めました。全権を握るセウェルスの前では、市民だけでなく将軍も兵士も息を呑んで圧倒されたといいます。

その統治が成功した一つの理由には、貴族と市民の間に位置する兵士を優遇し、兵士が市民に乱暴狼藉を働いて私腹を肥やすことを黙認しながらも、兵士による反乱は厳しく取り締まったことがありました。

つまり、中間層にあたり、帝国の統治に不可欠の兵士を甘やかして「なめられる」ことは避けながらも「恨まれる」ことも避け、自らの支配に協力させたことで、セウェルスは天寿を全うできたのです。セウェルスは権力を引き継がせた二人の息子への遺言で、「仲良くしろ、兵士を豊かにしろ、他はどうでもいい」と言い残したといわれます。

自らの支配に不可欠の個人や勢力の満足感を引き出すことで「成功」したセウェルスには、「側近の裏切り」という「独裁者」としては最悪の結末を迎えたカエサルとの決定的な違いを見出すことができます。

共産党支配の申し子たち