<今回のゴーン解任劇に対し、フランス人が驚き、疑念を抱いている点が3つある>

今年、2018年は、江戸時代末期の日本とフランスが日仏修好通商条約を締結して160周年にあたる。それを祝って、両国で華やかな文化行事が行われ、ハイレベルの要人往来も行われた。そして、日産とルノーのアライアンスは、永年の日仏交流のなかで最大級の成果として、日仏双方から称えられてきた。

そうしたお祝いムードに、今回の突然のゴーン解任劇は、冷水を浴びせた。しかも、日産とルノーの関係だけでなく、日本とフランスの関係にまで、影響を及ぼしそうな気配なのだ。

その原因となっているのは、今回の解任劇をめぐる日本とフランスの間の認識のギャップである。

もとより、フランスの認識といっても、すべてのフランス人が一枚岩というわけではない。フランスのメディアが、ブルータスや明智光秀まで例に挙げてスキャンダラスに伝える陰謀論やクーデター説に、フランス政府は少なくとも公式には与していないし、フランス経済界の大半も表面的には慎重な見方を崩していない。

フランス経済界では、ゴーン氏は成功者として讃えられてはいたが、模範とされる存在ではなく、むしろ異端視されてきた。「フランス的景色の中ではUFO」と評する経済人もいる(フィガロ紙)。また、ゴーン氏のルノー社での高額報酬は、フランス国内でもたびたび批判されてきた。ルノー内部でもゴーン氏が同様の手口をしていないか調査が行われており、フランス大統領府も日産・ルノーの企業ガバナンスにおいて「ゴーン問題」という要素が潜んでいなかったかに関心を持っていると伝えられている。

それにも拘わらず、今回のゴーン解任劇に対し、フランス人が驚き、疑念を抱いているのは、次の3点である。

犯罪者か、犠牲者か

第一に、ゴーン氏は本当に犯罪者なのか、むしろ犠牲者なのではないかという点である。ゴーン氏の逮捕と解任につき、十分な理由と証拠が開示されない限り、推定無罪とすべきではないかと考える一方、もし仮に、伝えられるゴーン氏の罪状(有価証券報告書虚偽記載、海外での不動産購入など)が事実だとしても、それがどうしてゴーン氏個人の犯罪として裁かれなければならないのか、という疑問である。

ゴーン氏による権限の濫用があったとして、どうしてそれが企業ガバナンスの問題として、企業内部で処理・修正されなかったのかということだ。日産ほどのグローバル企業が、それほど一個人に牛耳られていたというのは、にわかには信じがたい。それほど経営のチェック機能が働いていなかったのか、体制がなっていなかったのか。

西川社長は「長年ゴーン氏が権力者として君臨していた弊害」を挙げたが、それを許し、しかも支えてきたのは誰だったのか。少なくとも日本人役員を含む経営全体の責任ではないのか。こうした見方に立てば、ゴーン氏だけが犯罪者扱いされるのはおかしいということになる。

企業文化の違い