ここから浮かび上がるのは、蔡英文という人間は、限りなく問題解決志向のリーダーであるということだ。問題解決志向のリーダーの特徴は、歴史に名前を残すということに、あまりこだわりがないことである。逆に言うと、自分のリーダーシップによって社会が改善することに喜びを見いだすタイプである。日本でいえば、宮澤喜一や池田勇人が当たるだろうか。そして、これまで台湾の指導者には、問題解決志向のリーダーは少なく、蒋介石、李登輝、陳水扁、馬英九はいずれも理念志向であった。しかし、蔡英文はその誰とも似ていない。強いて言うなら、異論はあるかもしれないが、蒋経国だろうか。エリートで他人をあまり簡単には信頼しない点は馬英九と似ているとも言われるが、理念や理想を掲げ、歴史を振り返ることが大好きな馬英九とは本質的に違っている気がする。蔡英文の演説からは「歴史観」も伝わってこない。

 確かに、台湾においては、すでに「理念の戦い」は終わった。台湾社会の最大の課題であった「台湾人とは何者か」というアイデンティティ問題については、自分は台湾人であるが中国人ではないと考える人の割合が7割を超え、「中国か台湾か」の理念上の問題は「台湾」の勝利という形で決着がついている。その台湾において、もはや理念型のリーダーは必要とされず、理念の戦いの間に放置されてきた多くの現実的課題について「大掃除」をしてくれる指導者が必要とされているのは確かだろう。

 蔡英文の演説には、歴史に残るような名言もなければ、国際ニュースのヘッドラインになるような主張もない。注目された対中政策における「92年コンセンサス」への言及にしても完全に予想の範囲内であり、「一つの中国」原則を認めろという中国の要望を、するりとかわした形であった。しかし、それで蔡英文はいいと考えているはずだ。外交、両岸では無理をしない。やるべきことは、台湾社会をより良く変革する政策なのである。

【参考記事】「台湾は中国の島」という幻想を砕いた蔡英文の「血」

対立の時代に終止符を打つ宣言

 蔡英文は演説の最後に、「イデオロギーに縛られない団結の民主」と、「社会と経済の問題に対応できる効率よい民主」、そして、「人々を実質的にケアする実務の民主」を、自分はこれから打ち立てていくと明らかにした。

 これは、台湾の民主が、対立の時代に終止符を打つことの宣言にほかならない。「グリーン=民進党」と「ブルー=国民党」の二大陣営にわかれて争ってきた総統直接選挙導入以来のこの20年に終止符を打つという表明である。

 そして、最後をこう締めくくった。

自らの演説すら余計なものという姿勢