『表現の不自由展』騒動がみせた日本の不自由と無頓着

2019年10月11日(金)16時30分
大橋 希(本誌記者)

――議論の分かれるアート作品に対する抗議が起きる例は、世界にもある。そこから何を学ぶのかが重要だと思うが......。

私は今回、多くの日本人が憲法をちゃんと理解していないのではないかと改めて危機感を感じた。法律が専門の人でもない限り、ほとんどの人は、表現の自由や検閲がどういうものであるかを学校で学んだ経験もなければ、考えたこともなかったのではないか。

だから、小学校から高校で民主主義とは何かを正面から学ぶ機会が必要だと、つくづく思った。その教育を行うのに、アートはちょうどいいプラットフォームになるかもしれない。いわゆるネトウヨみたいな人たちは『遠近を抱えて partⅡ』を見て、あれが「作品」だということを理解しようとしないわけです。つまり「天皇の写真を燃やしている!」と受け止めてしまって、創作だと理解することを拒否する。例えば、映画『日本のいちばん長い日』に天皇が登場して、演じた俳優がけしからん、とはならないでしょう? それと同じだということが分からない。それほど想像力が欠落してしまっている人が多数現れたことが、私にはショックだった。

これは日本の美術教育の危機であるともいえる。その点について、さまざまな人が議論を始めたことはいい傾向だと思う。

それと、日本は検閲が行われるような国ではないと、みんな漠然と思っている。でも、(10月5日に行われた国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」で)ジャーナリストのデービッド(・マクニール)がこんな話をしていた――12年のロンドン・オリンピック前、あるラジオ番組で「なんでも話してください」と言われ、オリンピックの話題の最後に、「五輪中は警備のためにロンドン市内のアパート屋上に地対空ミサイルを設置し、市民が『攻撃のターゲットになる』と抗議した。沖縄もそうですよね、米軍基地があれば敵対国からターゲットにされ、市民が巻き込まれる可能性がある」と話した。そうしたら、ディレクターが脂汗をかいて「沖縄はノータッチなんです!」と大慌てした。ちょうど皇室の世継ぎ問題(女性宮家の議論)などもあり、その頃から日本の報道の自由ランクは下がっていった。

日本人には、表現の自由を抑制されている自覚がない。本当はそうしたことはさまざまな所で起きていて、特に12年くらいを境に、1つは東日本大震災、もう1つは皇室の世継ぎ問題があって、取材できないことがどんどん増えていったのではないか。東京駐在の海外特派員でそういうことを感じている人は多い。問題を避けようとして自主規制したり、自己検閲したりということは、気を付けないと今も今後もあるはず。

――今回、物議をかもす展示に公的資金が入っていることに対する批判が出た。

アメリカでは、NEA(全米芸術基金=さまざまな芸術活動に助成金を提供している連邦政府の独立エージェンシー)が1965年にできたとき、アーティストが反対した。反対のデモまでやっているわけですよ。日本人の感覚では理解しづらいかもしれないが、アーティストたちは、国が助成するということは表現の自由に介入されるきっかけを作りかねないと考えた。やはり表現は民間でやるべきだと。実際にアメリカの美術・博物館や図書館、大学もほとんどが私立で、それができる社会的な仕組みも、人々の精神、財力もある。

日本の場合は国や自治体のほうが偉いと思われていて、公立が「お墨付きを与える」という意識が一般的。今回の不自由展でも、民間のギャラリーでできた展示を公立の美術館でやり遂げたいという思いが(展示する側に)あったわけで、その発想に私は驚いた。

ただ検証委員会でも指摘したように、トリエンナーレ実行委員会の会長が知事であるのは無理のある体制だろう。予算を執行する側の会長が、予算を付ける側の知事であるのはガバナンスとしてあり得ない。財団などを新たに作って、知事ではない人がそのトップに就くのが理想ではないか。そういう方向に持っていかないと、最終的に表現の自由や自立性の担保も難しい。

ただし、文化庁の補助金不交付は別問題で、それがこのまま確定するようなことがあれば、悪しき前例になってしまうので、全力で阻止しなければならない。文化庁がいうなれば無視されて、文部科学大臣が頭越しに決めた、ということですし。

(文化庁長官の)宮田さんは、事案が生じたときには海外にいたようだ。不交付の決済には実際に関わっていなくて、事後通達だと思う。補助金採択の際に関わった審査委員に対しても、文科大臣が不交付を発表した翌日くらいに、ようやくお詫びのメールが来たようです。よく考えなくても、いろいろと異常事態だった。

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