不動産価値の低下を住民が懸念するのは悪なのか? ルソーで読み解く南青山児相問題

2018年12月27日(木)14時00分
仲正昌樹(金沢大学教授)

<「民の声」か「住民エゴ」かを決めるのは誰? 辺野古との比較で考える日本の民主主義>

東京・港区が南青山で21年に開設予定の児童相談所建設をめぐり、18年12月14日に開かれた住民説明会に注目が集まった。

「青山のブランド価値が下がる」などの理由から激しく反対する住民がテレビで取り上げられたのだ。それ以降、「似非(えせ)セレブ意識の恥ずかしい人間」として非難する声がメディアやネットで沸いた。

こうした報道を見て、政治思想を専門とする筆者には「恐怖政治」的な風潮が強まっているように思えてならない。今の日本で問題となっている民主主義や民意について政治思想の観点から問い掛けてみたい。

「社会契約」という視点から近代民主主義を理論的に根拠付けた18世紀フランスの哲学者ルソーに「一般意志」という概念がある。人々の私的な利害関心の単なる総和・平均(みんなの意志)ではなく、国家の存在目的から見て「正しい」と理性的に判定できる目標を実現しようとする「人民」の「真の意志」。それが一般意志だ。

人民を構成する個々人の圧倒的多数は本音では税金など払いたくないし、働きたくない、教育を受けて自分を磨きたくなどない、と考えているとしよう。それは「みんなの意志」かもしれないが、国家は崩壊してしまう。「みんなの意志」の中から、国家の繁栄を目指す公共性のある意見に絞り込んで討議し「正しい意見」を導き出す、というのが「一般意志」論における健全な国家の在り方だ。

「一般意志」と熟議の矛盾

ただ「自己中心的な意見」と「公共性の高い意見」を判別するのは困難で、ルソーにとっても難しい課題だった。その後、フランス革命を指導した政治家ロベスピエールは一般意志論を素朴に受け止め、「公共性のないわがままな意見を野放図に語る輩」を排除する方針を断行。それが悪名高い「恐怖政治」だ。

その後の西洋政治思想史では「真の一般意志」を実現しようとする試みが次々と現れては挫折していった。その最も悲惨な帰結がナチズムやスターリン時代のソ連のような全体主義だ。

そうした数々の失敗を見てきた、アメリカのジョン・ロールズやドイツのユルゲン・ハーバマスなど現代民主主義の理論家は、ルソー的な社会契約論の枠組みは維持しつつも、一般意志を前面に出すことは避けた。

むき出しのエゴによる意見でも、その人に権利がある限り抑圧することなく、自由に表明させてやらねばならない。醜悪に見えるものも含め、さまざまな人が自らの意見を公表し、説得し合うことが肝心だ。

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