イスラム圏にリケジョが多い理由

2017年12月4日(月)12時05分
エリザベス・ワインガーデン

一般論として、人がどんな職業に就くかは文化的要因と生物学的要因(つまり「生まれ」と「育ち」)の複雑な相互作用によって決まる。

しかし例外的に、もっと単純な事情で決まってしまう場合もある。例えばチュニジアとヨルダンでは、全ての高校生は卒業時に全国的な学力試験を受ける。そして家庭の社会的地位や経済力に関係なく、試験の成績によって進路を振り分けられる。好き嫌いは関係なく、成績で全てが決まる。トップクラスなら医学部へ、次のクラスは理工学部、その次は法学部への入学を認められる。

「好きで工学を選んだのではなく、成績順で工学部に来た女性が相当数いるのは事実」だと、チュニス工学院のラジャ・ゴージ教授も言う。

もちろん途中で人文系に専攻を変えることは可能だが、たいていの女性は工学の道にとどまる。親の期待もあるし、そのほうが就職に有利だからだ(チュニジアの失業率は約14%)。

しかしゴージは、このシステムの負の側面も目の当たりにしている。学科によっては燃え尽きてしまったり、やる気をなくす学生もいるからだ。「途中で進路を変えてもいいんだと思えれば、彼女たちはずっと幸せになれる。でもチュニジアの工学教育制度には、そんな柔軟性が欠けているのかも」

ただし結論を急いではいけない。デブアとアタークラノフの研究はまだ始まったばかりだ。取りあえず量的なデータはそろった。この先にはチュニジアで実施したような面接調査を積み重ねて仮説を質的に検証する必要がある。

思考を解き放つことで

それでも現時点で少なくとも1つ、アメリカが学ぶべき教訓がありそうだ。好き嫌いは重要だが、好き嫌いや適性は生まれつきのものだという思い込みは禁物。文化や政策の工夫次第では、早い時期から女子にも理工系への興味を育てることが可能だということだ。

アメリカ人は制度的な問題や露骨な差別行為に対処することで世の中から男女格差を一掃できると信じているようだが、それでも格差はどこかに残っている。例えば、ある女性が教師の道に進んだとしよう。彼女は自分の選択を性的な規範によって押し付けられたものとは思わず、興味と能力を勘案して自分で決めたと考えるだろう。「そうやって受け入れてしまう気持ちが性的分業を支えている」とチャールズは言う。

どうやら現実は厳しいらしい。でも見方を変えれば、こういうことではないか。つまり、私たちはずっと、自分の進むべき道は決まって(決められて)いると考えることに慣れてきた。そういう説はちまたにあふれていて、進路相談でもそんな説教を聞かされてきた。でも、それだと困ることもある。試験に落ちたりすると(誰にでもあることだ)、「決められた道を歩んできたのに、なぜなの?」と途方に暮れてしまう。

適性や進路は決まっていて変えられない――そんな思い込みは捨てよう。そうすればもっと気軽に進路を選べる(そして選び直せる)はずだ。

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