太平洋戦争の開戦に突き進んだ当時と変わらない日本「失敗の本質」

2021年8月5日(木)11時56分
加谷珪一

太平洋戦争の直接的なきっかけは、アメリカのコーデル・ハル国務長官が突き付けた文書(いわゆるハルノート)だが、これは事実上の最後通牒であり、その時点で日本側に選択肢はなかった。

日米開戦の発端となったのは、1931年の満州事変と翌年のリットン調査団への対応だし、さらにさかのぼれば、南満州鉄道の日米共同経営をめぐって1905年に締結された桂・ハリマン協定の破棄が遠因であるとの見方もある。

日々の小さな交渉や対策の積み重ねとして事態は推移するので、単体として判断することには意味がない。日本政府が満州事変という軍部の違憲行為(統帥権干犯)を適切に処理していれば、先の大戦は避けられた可能性が高く、同じように国立競技場の問題が発覚した段階で組織のガバナンスを改革していれば、ここまでの事態には至らなかっただろう。

日本社会が抱える病理は戦後76年たった今でも変わっていない。

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