「シェアエコノミー」の世知辛い現実

2013年4月9日(火)14時45分
瀧口範子

 最近は、サンフランシスコに遊びに来る人たちがホテルを利用しなくなった。

 先日も、アリゾナ州から来た知人夫婦が泊まったのは、市中心部のユニオンスクエアから歩いて数分というアパート。宿泊料は1泊たったの125ドル。同じエリアのホテルなら250ドルは下らないから、かなりの安値だ。しかも、キッチンにリビリングーム付きである。

 そんな宿泊が可能だったのは、自宅や自宅の一部を知らない人に貸し出すサービスのおかげである。ホームアウェイ、ルームオラマなどいくつかの仲介企業があるが、代表的なものはAirbnb(エアービーアンドビー)だ。最近流行っているインターネットを介した「シェアエコノミー」型サービス業の代表格だ。

 同社は、2008年にサービスを開始してから既に世界中で1000万日の宿泊を仲介し、アメリカだけでなくヨーロッパ、アジア、南米など192カ国にサービスを拡大している。数は限られているが日本にも、Airbnbを経由して自宅を貸し出しているユーザーもいるようである。

 日本人には自宅に知らない人が泊まることなど考えられないかもしれないが、アメリカではこのAirbnbは飛ぶ鳥を落とすような勢いで利用者を伸ばしている。もともとこんなサービスが出てくる前から、知人や間接的な友人などを気軽に自宅や別荘に泊める習慣があり、こうしたサービスに対する抵抗は比較的少ない。

 ただシェアエコノミーは、その心温まる名称とは裏腹に実はそんなフレンドリーなものではない。マナーと決まりと、プロ級のスタンダードがあるのだ。

 というのも、Airbnbが始まった当時は、ホラー物語のようなアクシデントもたくさんあった。アパートを貸し出して数日後に戻ってくると、持ち物がごっそりと盗まれていたという話。また、薬物中毒者が部屋の壁を突き破ったり、そこら中のモノを壊したりして、自宅が破壊されていたという話。これらは、見知らぬ人同士でシェアエコノミーが成り立つと信じていたサービスの弱みを狙ったものだった。

 こうした経験から、シェアエコノミー型サービスはこの種の損失を最小限にとどめるための工夫をさまざま編み出した。Airbnbの場合は、ユーザーのバックグラウンドチェックや傷害保険を強化し、貸す側、借りる側双方の評価を公開して新しいユーザーの不安を抑えるよう努めている。その甲斐あって、最近ではかつてのようなタイプのトラブルは聞かれない。

 また貸す側は自宅を美しく見せなければならない。Airbnbでは貸し出す家や部屋の写真が掲載されているのだが、それがすべてインテリア雑誌から出てきたかのように美しい。クラシックな家からモダンな部屋まで、あるいは木の上に作られたツリーハウスやテントなどユニークな部屋もある。どれもそれなりに味があるように演出されている。

 それもそのはず。Airbnbはプロのカメラマンが貸し出す部屋を撮影しているので、アマチュア写真とは段違いの見栄えだ。言葉を替えればこれは、実際の部屋は写真ほどに美しくない場合もあるということなのだが、ともかく借りる側は、部屋の写真と値段を比べてどこに行くのかを決めるので、見た目は競争力の一部でもある。

 また、いったん部屋を貸し出した後は、貸し手が出しゃばらないことも重要だ。つまり、借りる側はまるでホテルの部屋に泊まるのと同じくらい、かまわれたくないと思っている場合が多い。例外もあるようだが、借り手はただ安く泊まれる場所を望んでいるだけ。貸し手との交流など望んでいないのだ。夢をつぶすようだが、シェアエコノミーという表現から想像するような人間味は、そこにはない。

 そもそもこうした宿泊が可能になっているということは、すでに「シェア」どころか、れっきとした商売だ。これまでと違うのは、ごく普通の人が自分の持ち物をマネタイズ(換金)できる手段を得たことだ。インターネットのおかげで、ミクロな需要にミクロな方法で応えられるようなしくみが可能になったとは言え、借り手のほうはほぼプロ並みのサービスを期待していることも忘れてはならない。

 最近は、こうしてあらゆるものを「シェア」する傾向が強まり、自分の車を貸し出したり、自分の家のドライブウェイを他人に駐車場として貸し出したりするサービスまで出てきた。それ自体は、これまでの凝り固まった経済のあり方と比べると興味深く新しいのだが、「シェアエコノミー」という牧歌的に呼び方はすでに超越した発展の仕方をしていることも忘れてはならない。

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