イスラム冒涜映画への閲覧遮断はグーグルの不当な自己検閲か

2012年9月23日(日)11時41分
瀧口範子

 中東やパキスタンで反米デモを起こすきっかけとなった映画『イノセンス・オブ・ムスリム(無邪気なイスラム教徒)』。預言者ムハンマドを侮辱したとして、イスラム教徒の抗議が暴動化し、各地で死者が出ている。

 アメリカで製作されたこの映画をユーチューブで管理しているグーグルは、9月13日にエジプトやリビアのユーザーがこの映画にアクセスできなくなる措置をとった。騒ぎがこれ以上悪化しないようにとの判断からだろうが、これが行き過ぎた自己検閲ではないかという批判を浴びている。

 映画にアクセスできなくなっているのは、この2カ国だけではない。国境なき記者団のサイトによると、政府がISP(インターネット・サービスプロバイダー)に命じてユーザーからのアクセスをブロックしているのは、パキスタン、バングラディシュ、アフガニスタン、サウジアラビアなど。政府の要請によってグーグルがブロックしたのは、マーレシア、インドネシア、インドなど。ことに政府が独自にブロックに動いた国では、映画だけでなく、ユーチューブをまるごとアクセス不能にしている国が大半だという。

 しかし、エジプトとリビアは、政府からの要請もないのにグーグルが独自にアクセスを止めた。一企業としてのグーグルがその国の法律や政府の命令に従わざるを得ないのは仕方がないにしても、グーグルの利用規約に違反していないビデオを自ら取り下げたことは、「言論の自由」を無視し、将来的にも歯止めの利かない自己検閲を生み出すきっかけとなるというのが、批判の中心だ。

 グーグルが両国でのアクセスをブロックした理由として述べているのは、「例外的な事態により」というもの。「グーグルは、誰もが自分の意見を述べられるコミュニティーを目指しているが、ひとつの国で許容されることも別の国では侮辱にあたることもある」と断わり、「繊細な状況に鑑み」ブロックしたということになっているのだ。

 実際、これは難しい問題である。映画自体は、よく言われているように非常に出来が悪く、冒涜すらしそこなっているような支離滅裂なつくりである。それでも、アメリカの「言論の自由」の原則に則れば、その存在を保護しなければならない。グーグルが自らアクセスをブロックすれば、自己検閲と批判される。片やイスラム諸国にとっては、そんなアメリカの「言論の自由」は、ただ戒律の欠けた放任状態に見えるのだろう。明らかに行き過ぎの暴動で、多数の死者も出ている。グーグルはこの板挟みになっているわけだ。

 この問題に対して、膝を叩きたくなるような提案をしているのは、コロンビア大学法学部のティム・ウー教授だ。彼は、ウィキペディアのようなコミュニティーのプロセスによって、サイトから削除するコンテンツを決定すればいいと言う。

 ウィキペディアは、対立する意見があれば話し合いや調停プロセスによって解決を図る。『無邪気なイスラム教徒』のようなケースでも、グーグル社内の誰かが決めるのではなく、ユーザーのコミュニティーが決めるというわけだ。実にいいアイデアだが、問題は、これまでただ享楽的にユーチューブを利用してきたユーザーが、果たしてそうした役割を担えるようになるのかということだろう。

 インターネットには超え難い国境があり、理想のフォーラムでもない。それが今回の事件がネットに関して示したことである。

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