日本の中東政策「ATMにならないために」

2013年6月18日(火)11時51分
酒井啓子

 トルコで突然反政府デモが始まり、中東が再び流動化し始めたさなかの今月初め、筆者はカイロで会議に出席していた。イラク戦争から10年ということで、世界中の若手イラク研究者を集めて2日間にわたって開催された国際学会を、主催者として企画運営していたのである。

 中東、欧米諸国から50人以上もの研究者が参加し、45もの報告が行われたその会議では、いずれのパネルもエキサイティングだった!と、皆満足してくれた。特にヨーロッパや中東出身の若手研究者の、熱心なこと。EUは、最近の経済危機で学術支援がストップしているらしい。EUは9.11後、ブッシュ米政権の嫌イスラーム的外交政策に対抗するかのように、地中海をはさんで中東・北アフリカ諸国との対話プロジェクトを大々的に進めてきた。それが道半ばに挫折しているのだろう。途中で支援を絶たれた若手研究者が苦労しているようだ。

 クルド自治政府の資金援助でロンドンで学ぶ博士課程学生もいた。まさに、イラクの将来の国家建設を担う若者たちである。出発直前までビザが出ない危機的状況だったのに、なにが何でも参加するぞと、根性で参加した。

 今回は、この「日本人がカイロでイラクの国際会議を主催するということ」について、少し語らせて欲しい。日本の学術面での国際貢献は、もっと積極的に効果的に、しかも日本の外に出て行えば、より高く評価されると思うからだ。

 日本が支援した国際会議で思い出す、反面教師の例がある。イラク戦争直後、日本政府が資金を出してヨルダンで開催された会議のことだ。ヨルダン人やイラク人はむろんのこと、西欧諸国から多様な学者が参加していたが、資金提供者たる日本の財団からは出席がなかった。ドイツのゲーテ・インスティテュートが共催していたが、会議に派遣されたインスティテュートの職員は考古学を極めた研究者で、会議の司会はこなすわ、出席者と研究内容に突っ込んだ議論はするわで、多彩ぶりに目を見張る。

 よく、中東政策を比較して「米国は筋肉(武力)、英国は頭脳、日本はキャッシュディスペンサー」と揶揄されるが、このような学術会議への関与のあり方を見ると、情けないがその通りだ。

 筆者が冒頭のイラク国際会議で打破したかったのは、この「日本=ATM」概念である。会議の企画から実質的に関わり、研究成果も披露し、学術ネットワークの中心になることができなければ、いくら資金をつぎ込んでも意味がない。

 そもそも日本の学術支援は、日本人の学者が海外から学んでくることにばかり力点が置かれている。海外から外国の研究者を日本に招聘する、あるいは日本人が海外の会議に出席することが、研究支援の主流だ。だが、海外から学ぶだけでいいのか。欧米の中東研究者に怒られたことがある。「日本人は日本語で優れた論文を書いてばかりで、我々には読めない。知的に国際貢献できる力がありながら、なぜしないのだ」、と。

 個々の研究内容だけではない。かつてEUが環地中海対話という枠組みを研究界に提供したように、研究の枠組み、視角などの面でも日本の学術界ができる貢献があるはずだ。欧米の学術機関は、中東に大学の分校や研究センターを設立して、教育や研究の土台からの海外進出を果たしている。

 安倍首相は今、いろいろなものを中東に輸出しようとしているが、学術面での「輸出」があってもいいのではないのだろうか。

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