イスラエル:国歌斉唱しない最高裁判事

2012年5月10日(木)12時55分
酒井啓子

 最高裁の判事が国歌斉唱しなかったことが、議論を呼んでいる。

 いや、日本のことじゃない。イスラエルで起きたことだ。

 今年の2月末、最高裁新長官の就任式でイスラエル国歌「ハティクヴァ」が斉唱されたときのこと。イスラエル最高裁判事のサリーム・ジュブラーンは、立ち上がって敬意は表したものの、歌わなかった。中継のテレビカメラは、ずっと彼の唇に向けられていた。口パクすらなく、それは微動だにしなかったからである。

 それがイスラエルで大問題となった。「けしからん」「解任しろ」という非難渦巻くなかで、「しょうがないだろう、彼はアラブ人なんだから」との意見もある。

 何故ジュブラーンがイスラエル国歌を歌わなかったか。それは彼がイスラエル史上初めて最高裁常勤判事となったアラブ人だからであり、イスラエル国歌が「ユダヤ人としての魂が・・・シオンの地とエルサレムを乞い望む」と歌っているからである。

 イスラエルには約150万人、人口の約二割といわれるアラブ人が居住している。1948年にイスラエルが建国された際、そこに住んでいたアラブ人、すなわちパレスチナ人の多くが住処を追われたり殺害されたりしたが、そのまま今はイスラエルの領土となった土地に留まった人々もいた。彼らにはイスラエル国籍が与えられたので、「アラブ系イスラエル人」と呼ばれる。

 容易に想像がつくことだが、ユダヤ人(ユダヤ教徒)国家のイスラエルでは、アラブ系(イスラーム教徒もキリスト教徒もいる)住民は徹底して二級市民的扱いを受けている。イスラエルの独立宣言には「宗教、人種、性別に関わらず住民は社会的政治的権利を平等に有する」と明記されているが、同時にそこには「イスラエルの地はユダヤ人の生まれた土地であり・・・ここにユダヤ人国家イスラエルを建国する」と高らかに宣言されているからである。

 2004年に最高裁判事まで上り詰めたジュブラーンは、アラブ系イスラエル人としては大出世頭だろう。「二級市民」から這い出て上を目指すイスラエルのアラブ人を描いた小説に、ヤスミナ・カドラの『テロル』(早川書房)がある。

 だが、多くのアラブ系パレスチナ人はより直接的な暴力や抑圧を受けて、社会の底辺で喘いでいる。自分の土地を強制的に政府に収用される、立ち退きを命じられて施設を破壊される、などなどの措置は日常茶飯事だ。生活環境はゲットー化し、アラブ人だということで、至る所でテロリスト視される。あちこち、ガラスの天井や壁だらけだ。

 そうした底辺に押しやられたイスラエルのアラブ人の鬱屈を歌い上げるのが、ラップグループDAMだ。「俺たちはテロリストだっていう、あんたたちこそがテロリストじゃねーか」と歌う「誰がテロリスト?」という曲は、彼らの代表作だ。パレスチナ系米国人映画監督のジャッキー・サルームが製作したドキュメント映画Slingshot Hiphop(2008年) http://www.slingshothiphop.com/は、そうしたアラブ系イスラエル人の若者の姿をビビッドに描いている。

 DAMがすごいのは、占領地のパレスチナ人ラップグループとのジョイントコンサートを西岸でやろうとしたことだ。映画のネタバレになるが、コンサートはできたものの、ガザからのバンドは参加できなかった。イスラエルによる検問が障害になったからだ。イスラエルのアラブ人というが、それは結局のところ、西岸やガザにいるパレスチナ人と同じ、「パレスチナ人」である。繋がりあってどこが悪い、という主張が、DAMにある。

 ジュブラーン判事に戻ろう。彼もまた、今、占領地問題で話題を集めている。イスラエル最高裁が、占領地に非合法に建てられたユダヤ人入植地の撤去を期日通りに実施すべき、との判断を示したからだ。入植地撤去を遅らせたいネタニヤフ政権に、司法の壁が立ちはだかる。「人種、宗教問わぬ民主国家を」と歌いながら、現実には正反対の政策を取るイスラエル国家の矛盾を、アラブ系イスラエル人が体現している。

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