電機産業を輸入超過に転落させた「現場主義」の呪縛

2013年12月17日(火)18時25分
池田信夫

 1980年代に、日本の電機産業は世界を震撼させた。ソニーやパナソニックのテレビやVTRが全世界に輸出され、日本製の半導体が世界市場の半分以上を占めた。日本メーカーを恐れたヨーロッパ各国は電気製品の輸入を規制し、アメリカは日米半導体協定で日本市場のシェアの数値目標を設定した。

 それから30年。2013年10月分の貿易統計で電気機器の輸入は初めて輸出を上回り、今年は通年でも輸入超過になる見通しだ。「貿易立国」の象徴だった電気製品が、これからは輸入品になるのだ。

 こうなった最大の原因は、日本の電機メーカーが家電からITへの産業構造の転換についていけなかったことだ。携帯電話はスマートフォンへの転換に乗り遅れて大幅な輸入超過で、世界シェアも2%程度しかない。国内ブランドで売っている携帯電話のほとんども、アジアから輸入したOEM(受託生産)である。

 半導体は、DRAM(半導体メモリ)最大手のエルピーダメモリが経営破綻し、日立や三菱などが出資してつくったルネサスエレクトロニクスも、経営危機に直面して政府系の産業革新機構が筆頭株主になり、実質的に国有化された。

 IT産業では要素技術が標準化されてグローバルに流通し、国際的な水平分業が起こるので、知識集約的なソフトウェアと資本集約的な大量生産に二極化する。「ものづくり」にこだわって研究開発から販売まで少しずつ国内で手がける日本メーカーは、どっちも中途半端になって生き残れない。

 こういう問題点は、10年以上前から(私を含めて)多くの人が指摘してきた。経営者もわかっているのだが、実行できない。エルピーダもシャープも外資の導入に失敗し、ルネサスは外資系ファンドKKRの投資を拒否した。このように外資による「外科手術」がきないことが、構造転換を阻んでいる。

 それは日本の会社が資本主義ではなく、終身雇用の正社員とサラリーマン社長の従業員共同体だからである。この構造は、江戸時代の村(惣村)にさかのぼる。そこでは「村請」と呼ばれる制度で年貢を庄屋が一括して納税し、その分配や生産管理は百姓(惣百姓)と呼ばれる「正社員」が寄合で民主的に決めた。

 人々を土地にしばりつける身分制度のもとで、村人どうしは決して嘘はつかず、借りた金は必ず返す。山の上まで開墾し、長時間労働で生産性は向上した。村は相互扶助で互いの生活を守る共同体なので、意思決定はすべて百姓の承認を得てボトムアップで行なわれた。

 このような江戸時代の生産性向上を、歴史学者の速水融氏は勤勉革命(industrious revolution)と呼んだ。それは資本集約的な技術進歩による産業革命とは対照的に、労働集約的な人海戦術で、与えられた資源をぎりぎりまで効率的に使うものだった。

 その伝統は、現代の会社に継承されている。ここでは終身雇用で従業員共同体の秩序が維持され、外資のような外からの介入は拒否される。会社の目的は共同体の存続だから、経営者の使命は利潤追求ではなく雇用の維持である。

 こういうシステムは、与えられた目的を実行するときは大きな力を発揮する。日本と同じ勤勉革命型のアジア諸国で、製造専業のOEMメーカーが成功しているのもこのためだが、日本はその段階を過ぎた。高賃金でコスト競争力がないので、残る道は知識集約型のソフトウェアに転換するしかない。

 このためには製造部門を切る決断が必要だが、ボトムアップの現場主義では、こういう大きな決断ができない。自分で自分の外科手術はできないのだ。それを社長がトップダウンでやろうとしても、現場の集合体である役員会が認めない。株式も持ち合いになっているので、資本の論理が機能しない。

 江戸時代に全国を300の藩に分断して人口の移動を禁止した幕藩体制は、世界史上でも異例な長期の平和をもたらした。17世紀には勤勉革命で生産性は向上し、日本の人口は1200万人から3100万人に急増したが、18世紀に人口増は止まり、幕末には3200万人にしかならなかった。

 この原因は、人口の固定化である。勤勉革命は与えられた土地を使い切ると生産性が限界に達するので、人口増加が止まると成長も終わる。江戸時代の人口成長の限界は、明治の開国で突破されたのだが、人口の減少する日本が資本主義に「開国」するのはいつのことだろうか。

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