21世紀にも受け継がれる日本軍の「目的の決められない組織」

2012年6月8日(金)13時38分
池田信夫

 日本軍の作戦を分析した『失敗の本質』が、単行本の発刊から30年近くたってベストセラーになっている。アマゾンでは、6月8日現在で50位で、その入門書も売れている。出版社によると、急に売れ始めたのは震災のあとで、私の書評がきっかけだという。民主党政権のあまりにもお粗末な危機管理が、日本軍の失敗を連想させたのだろう。

『失敗の本質』が現在の日本にどういう意味をもつかはあまりふれられていないが、多くの読者の共感を得ているのは、日本軍の欠陥が今も日本の会社に受け継がれているからだろう。そこであげられているのは、次のような欠陥である。

・あいまいな戦略目的
・短期決戦の戦略志向
・主観的で「帰納的」な戦略策定
・属人的な組織の統合
・プロセスや動機を重視した評価

 こうした特徴には、共通の原因がある。それは目的の欠如である。戦争は互いに多くの人命を消耗するので、何を達成したらやめるのか、あるいは何を失ったら降伏するのかを決めないと莫大な犠牲が出るが、日本軍には目的がなかった。有名なのは、太平洋戦争で宣戦布告したとき、どうなれば日本が勝つのか決まっていなかったことだ。「緒戦で大勝利を収めれば、敵は戦意を失って降伏してくるだろう」という曖昧な願望によって、物量で圧倒的にまさる米軍に挑んだのだ。

 目的がないから、ミッドウェー海戦では矛盾する戦略目的を実行しようとしてどっちも失敗した。長期的な作戦がないから、ガダルカナル島では短期決戦をめざして場当たり的な戦力の逐次投入を行なって全滅した。作戦も全体戦略がなく、声の大きい将校が強硬な作戦を主張すると誰も反論できないので、なし崩しにインパール作戦のような無謀な作戦が決まる。

 このように目的がないのは、丸山眞男が「古層」と呼ぶ日本人の古来の意思決定の特徴である。キリスト教に代表される未来志向の歴史意識では、最後の審判による救済という目的からさかのぼって意思決定を行なうが、日本人の時間意識は過去との連続性を重視するので目的がなく、今まで決めてきた「なりゆき」やその場の「勢い」で決まる。

 これは自然な行動様式である。人類は何十万年も同じ生活を繰り返してきたので、大きな変化がない限り今までと同じ意思決定を行ない、他の人々と同じように行動する。それでうまく行かない大きな変化が起きたときは、試行錯誤で新しい行動を決める。こうした「帰納的」な行動は、霊長類でも広く見られる。

 日本軍の行動は、一部は遺伝的に受け継がれた日本人の伝統的な行動様式なのだ。全体戦略を決める強いリーダーがいなくて「現場」の意向と人間関係で意思決定が行なわれる属人的な組織も、農村共同体と同じである。目的がないから「死に花を咲かせるのが男子の本懐だ」といった動機の美しさで作戦が決まる。

 このような日本軍の遺伝子が21世紀にも残っているのは、「日本人の国民性」とあきらめるしかないのだろうか。私はそうは思わない。欧米の組織に目的意識が強いのは、もともと特定の目的のもとに集まる結社だからである。それに対して、日本の組織は長期雇用や年功序列による共同体の性格が強い。

 こうした日本企業の性格は、好むと好まざるとにかかわらず、グローバル化の中で変わらざるをえない。就職したら定年まで一つの会社で過ごせるサラリーマンは、人口の1割もいない。人々が目的をもつ結社に集まり、終わったら解散する「ノマド」になる傾向は、おそらく逆転しないだろう。『失敗の本質』は、われわれが克服すべき「古い日本人」の姿を鮮やかに描いている点で、今も読み継がれるべき古典である。

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