佐藤栄作首相と官邸で面会する、ニクソン大統領の補佐官だったヘンリー・キッシンジャー(1972年6月10日 ) © Keystone Press Agency/ZUMA Wire via Reuters Connect
約60年前の佐藤栄作政権で首相秘書官を務めた楠田實は、政治ブレーンとして長く日本政治と知的世界を結びつけた多数政治のカタリストであった。
新たに出版された和田純『匿名への情熱──政治と知的世界をつないだブレーン楠田實』(吉田書店、2025年)は楠田の評伝であるとともにそれ以上である。
カタリストとは、「自らの中立性は維持しながら知的触発を促進し、より豊かな結論を引き出す」触媒である。「ファシリテーター」とも述べている(585頁)。
多数による政治は多数を集めなければならないが、多数が集まれば機能するわけではない。困難な世界、そして26年続いた自民党と公明党の連立が解消され、日本政治が新たな道行きを始めた現在、振り返るべき事実と叡智に満ちた本である。
著者は晩年の楠田と仕事を共にし、長い時間をかけて氏の遺した資料の公開を実現してきた。
産経新聞の政治記者であった楠田實は、取材を重ねる中で人の繋がりを得、次期首相の呼び声高い佐藤栄作に知的サイドからの政権構想を進言した。「Sオペ(佐藤オペレーション)」である。
本書はSオペの理解を格段に進めた。第一にSオペに込められた大義と環境である。いわゆる「進歩的文化人」が現実の保守政治から距離を置く中で、米国ケネディ政権に啓発された楠田は「政治に知識の導入を」と奔走を始める。
第二にSオペの成長である。1964年7月の自民党総裁選に向けて佐藤陣営の政権構想「明日へのたたかい」の作成を促した第一期Sオペから、総裁選で敗れながらも政権成立後に首相の私的ブレーンとして働いた第二期Sオペ、この時に接したのが「匿名への情熱」という言葉であり、長期政権の母体となる。そして楠田が首相秘書官として官邸入りすることで第三期Sオペを迎える。
新聞記者仲間から始まるブレーン・トラストは官僚の中の有為な人々、経済人、そして新世代の識者を巻き込んで成長していった。それはその一人であった山崎正和がいう「社交」を核とした「知のサロン」の実践であったという。
楠田は人を集め、議論を促して政治につなぐ一方で、その場ではじっと耳を傾ける人であった。楠田の原体験には不遇な幼年期、下積み、そして陸軍少年戦車兵としての戦争体験がある。
発足時の佐藤政権は、1970年に安保騒動が再来することを恐れていた。日米関係も安定していない。高度経済成長を続けつつ豊かさの中の貧困には「社会開発」で対処し、国民の熱望する沖縄施政権返還に努めることで戦後復興過程を越えた米国との対等な協力を土台とした「平和国家」日本のあり方を模索した。
楠田は政権への献策を越えて首相演説の取り纏めやメディア対応を通して政権の方向付けにも関わった。
