アステイオン

追悼

原田マハが創作の旅路で出会った「2冊」とは?...美術史家・高階秀爾という「道標の星」

2025年10月17日(金)10時55分
原田マハ(小説家、キュレーター)
星

photoschmidt-shutterstock


<先生は、アートそのものだった...。『アステイオン』102号より「道標の星」を転載>


新幹線で移動しながら、あるいは空港の待合室で、駅へ向かうタクシーの中で、さまざまなシチュエーションでラップトップパソコンを開くとき、ふと、高階秀爾先生はいったいどんなふうに原稿を書いておられたのだろうと思う。

また、つれづれに美術館の展示室を巡るとき、各地で開催されるアートイベントを訪れたり、アーティストと会話をしたりするひとときに、やはりふと、高階先生はいったいどれくらいの時間、アートに向き合っていたのだろうかとも思う。

これまでも折々に、ふとした瞬間、先生のことを思い出していた。見たわけでもないのに、どこかの美術館で先生が作品に対峙されている姿、どこかへ移動中の車内で執筆されている様子が浮かぶ。

もちろん、私の心が勝手に作り上げたイメージである。そのイメージは私の座右の書である先生の本の中から紡がれたものである。

私は常々、創作の途上で行方を見失いかけたり、表現に迷ったりしたときには、先生の著書を繙(ひもと)いた。先生のテキストは千尋(せんじん)なサジェスチョンとなりアドヴァイスとなって、私の創作を支えてくれ、長らく私を励まし続けてくれた。

高階秀爾と同じ時代に生きている、私にとってそれが当たり前だったし、また大いなる励ましでもあった。高階先生は私の創作における道標、そして錨(いかり)でもあった。

その先生が、もういない。

私は高階門下生ではなかったが、二十代の頃から高階先生の著作に親しみ、「私淑していた」という意識でいる。

アカデミックな世界に身を置いたわけでもなく、アート界になんら後ろ盾もなかった私が、それでも美術史を学ぼう、アートの世界へ入っていこうと決心したのは、『名画を見る眼』(1969年、岩波新書)そして『近代絵画史:ゴヤからモンドリアンまで』(1975年、中公新書)を読んだからにほかならない。

この2冊がなかったら、私の人生はもっと違ったものになっていたかもしれない。

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