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また、つれづれに美術館の展示室を巡るとき、各地で開催されるアートイベントを訪れたり、アーティストと会話をしたりするひとときに、やはりふと、高階先生はいったいどれくらいの時間、アートに向き合っていたのだろうかとも思う。
これまでも折々に、ふとした瞬間、先生のことを思い出していた。見たわけでもないのに、どこかの美術館で先生が作品に対峙されている姿、どこかへ移動中の車内で執筆されている様子が浮かぶ。
もちろん、私の心が勝手に作り上げたイメージである。そのイメージは私の座右の書である先生の本の中から紡がれたものである。
私は常々、創作の途上で行方を見失いかけたり、表現に迷ったりしたときには、先生の著書を繙(ひもと)いた。先生のテキストは千尋(せんじん)なサジェスチョンとなりアドヴァイスとなって、私の創作を支えてくれ、長らく私を励まし続けてくれた。
高階秀爾と同じ時代に生きている、私にとってそれが当たり前だったし、また大いなる励ましでもあった。高階先生は私の創作における道標、そして錨(いかり)でもあった。
その先生が、もういない。
私は高階門下生ではなかったが、二十代の頃から高階先生の著作に親しみ、「私淑していた」という意識でいる。
アカデミックな世界に身を置いたわけでもなく、アート界になんら後ろ盾もなかった私が、それでも美術史を学ぼう、アートの世界へ入っていこうと決心したのは、『名画を見る眼』(1969年、岩波新書)そして『近代絵画史:ゴヤからモンドリアンまで』(1975年、中公新書)を読んだからにほかならない。
この2冊がなかったら、私の人生はもっと違ったものになっていたかもしれない。