最新記事

生物

北極圏海底に、300年生きる生物たちの楽園があった

2022年2月25日(金)17時00分
青葉やまと

ボエティウス博士たちは、海綿がなぜ生きているのかについて複数の説を検討した。しかし、検討を進めれば進めるほど、辺りの水中に栄養源は存在しないという事実に気づかされる結果となり、博士たちは頭を抱える。

あらゆる仮説に行き詰まった博士たちはそのとき、あることに気づく。ほとんどの海綿が、海底に広がる黒いじゅうたん状の組織の上に自生していたのだ。回収したサンプルを分析すると、じゅうたんのようにみえたその組織は、中空の固いチューブ構造が密集してできたものだった。その正体は、環形動物の一種であるチューブワームが1000〜3000年前に遺した構造物だ。

ガスを食べて生きるチューブワーム

まだカラシク山の活動が活発だったころ、この海底ではガスが盛んに噴出していた。そこで栄えたのがチューブワームだ。チューブワームには口がなく、ほかの生物をエサとして食べることがない。代わりに、海底の熱水噴出孔から吐き出されるガスからメタンや硫化化合物などを取り込み、体内の微生物の力を借りて分解・摂取する。

こうして栄えたチューブワームの集団だが、火山活動が停止してガスの噴出が弱まると付近から全滅した。後に残されたのは、大量の殻だ。軟体動物のチューブワームは、体の周りに固いチューブ状の殻を形成し、そのなかで暮らす。

数千年経った今日、この殻が海綿の貴重な栄養源となっている。硬いタンパク質でできたチューブを海綿に共生する微生物が酵素で分解し、それを海綿が摂取するのだ。

最新の研究で裏付けられる

こうした考えはあくまで仮説にすぎなかったが、海洋学者のチームによってこのたび裏付けされた。ドイツのマックスプランク海洋微生物学研究所に務めるテレサ・モルガンティ博士(海洋科学)が調査したところ、土台となっているチューブワームの残骸とその上に住む海綿について、炭素と窒素の安定同位体比がほぼ同じであることが判明した。両者のあいだに食物連鎖が存在することを示唆するものだ。

ある海洋生態学者は米サイエンス誌に対し、北極圏深海の生態系がこれまでほとんど研究されてこなかったと指摘し、「非常にすばらしい発見です」と述べている。

なお、海綿が足元のエサを食い尽くしてしまわないかと心配になるが、モルガンティ博士は楽観的だ。海綿は年に数センチというゆっくりとした速度で移動することができ、また新たなエサにありつくのだという。残されたじゅうたんの量を算定することは難しいが、少なくとも今後数世紀は問題ない見通しだ。その後、この広大なコミュニティは終わりを迎えることになるだろう。

アトランティック誌は、おそらくこの海綿動物が死んだあとも、数千年後になってその死骸がまた新たな生物の集団を育むことになるのではないかと予想している。北極海海底の一風変わった生物たちは、数千年単位の生命のバトンを受け継いでいるようだ。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

米11月CPI、前年比2.7%上昇 セールで伸び鈍

ビジネス

ECB理事会後のラガルド総裁発言要旨

ビジネス

ECBが金利据え置き、4会合連続 インフレ見通し一

ビジネス

米新規失業保険申請件数、1.3万件減の22万400
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末路が発覚...プーチンは保護したのにこの仕打ち
  • 2
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開したAI生成のクリスマス広告に批判殺到
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 6
    9歳の娘が「一晩で別人に」...母娘が送った「地獄の…
  • 7
    円安と円高、日本経済に有利なのはどっち?
  • 8
    おこめ券、なぜここまで評判悪い? 「利益誘導」「ム…
  • 9
    ゆっくりと傾いて、崩壊は一瞬...高さ35mの「自由の…
  • 10
    欧米諸国とは全く様相が異なる、日本・韓国の男女別…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 6
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 7
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 8
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 9
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 10
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中