コラム

MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(4)─クラウド・アウトが起きない世界の秘密

2019年08月08日(木)15時00分

クラウド・アウトに関する正統派的理解

ところで、この「政府財政赤字による民間投資のクラウド・アウト」という問題は、通常の「正統派」的なマクロ経済学ではどのように考えられてきたのであろうか。その種の問題を考察する枠組みとして最も一般的に用いられてきたのは、グレゴリー・マンキューのマクロ経済学教科書などを通じて普及した総需要・総供給(AD-AS)分析であろう。

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この図が示しているのは、政府による赤字財政支出は、総需要曲線の右シフト(AD0からAD1へ)を通じて、所得と物価の双方を引き上げるということである。ただし、所得の拡大には「完全雇用」という明確な限界が存在するため、総供給(AS)曲線は途中から垂直になっている。その完全雇用Y1にいったん到達した場合、政府による赤字財政支出は、所得の拡大ではなく単に物価の上昇すなわちインフレをもたらすにすぎない。

ちなみに、この総供給曲線は、実証的には失業率とインフレ率との関係を示すフィリップス曲線に対応している。というのは、一国の所得は循環的にはほぼその失業率に依存するからである。そして、総供給曲線の垂直部分に対応する失業率が、フィリップス曲線におけるNAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment、インフレ非加速的失業率)である。

このように、完全雇用下で行われる赤字財政支出は、一般に所得ではなく物価の上昇に結びつく。ただし、この総需要・総供給分析では、それによる金利上昇や民間投資のクラウド・アウトは明示的には現れない。それを確認するためには、赤字財政支出が資金市場にどのような影響をもたらすかを別途考える必要がある。

まず、総供給曲線の右上がりの領域に対応する不完全雇用下では、赤字財政支出が行われても、それは金利上昇や民間投資のクラウド・アウトを大きくはもたらさない。というのは、財市場や労働市場にスラックが存在し、経済が実物的な制約に直面していない場合には、上述のように、金利上昇はいくらでも金融緩和によって抑え込めるからである。利子率外生のMMT世界では、それが自動的に行われる。しかし、経済がいったん完全雇用という実物的な制約が存在する世界に入れば、状況は一変する。

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この図は、利子率が人々の資金供給すなわち貯蓄と資金需要すなわち投資を均衡させるように決まるという、資金市場の需要供給分析である。ここで、IS2マイナスIS0に相当する政府支出が赤字国債の発行によって行われたとすれば、貯蓄関数はシフトしない一方で、投資関数は0から1へと右にシフトする。その結果、金利はr0からr1へと上昇し、民間投資はIS2マイナスIS1に相当する分だけクラウド・アウトされる。つまり、完全雇用下における政府の赤字財政支出は、一般に金利上昇と民間投資のクラウド・アウトをもたらす。

この資金市場の需要供給分析は、MMT派が口をきわめて批判する貸付資金説(loanable funds theory)に他ならない。確かに、貯蓄決定と投資決定の独立性を仮定するこの貸付資金説は、不完全雇用下ではそのままでは成立しない。それは、経済にスラックが存在し、所得の拡大余地が残されている不完全雇用経済では、「投資が所得を生み、所得が貯蓄を生む」という、投資と貯蓄との間の因果性が生じるからである。ケインズが貸付資金説を捨て去って流動性選好説を提起したのはそのためである(そのことはMacroeconomics 第12章第5節で解説されている)。しかし、ここでの分析はそもそも完全雇用で所得一定が前提なのだから、この貸付資金説を安心して使うことができる。

MMT派はおそらく、このような議論に対しては、「利子率はそもそも中央銀行が外生的に決めるものであるから、利子率が市場の需給で決まるという貸付資金説の想定そのものがおかしい」と反論するであろう(Macroeconomicsのp.481にそうした叙述がある)。そこで、このMMT派の利子外生説を受け入れ、上の資金市場の需要供給分析で、政府の赤字財政支出にもかかわらず中央銀行が「金融抑圧」を行い、利子率をr0で固定すると仮定してみよう。

その場合、中央銀行の信用供給によってIS2だけの投資が生み出されるが、それに対する貯蓄はIS0しかない。つまり、貯蓄に対する投資の超過需要が発生する。それは同時に財市場での供給に対する需要の超過を意味するので、当然ながら物価上昇が生じる。したがって中央銀行は、その需給の不均衡を解消して物価を安定させるためには、利子率r0を「自然利子率」であるr1にまで引き上げなければならない。これはまさしく、本連載(3)で紹介したヴィクセルの世界である。要するに、利子率内生ではなく外生にした場合には、利子率上昇のかわりに物価の上昇が生じるというだけなのである。

不完全雇用が永遠に続くMMTの世界

このように、正統派的な推論によれば、「財政赤字は金利上昇も民間投資のクラウド・アウトもインフレももたらさない」というMMTの結論は、不完全雇用経済では成り立っても完全雇用経済では成り立たない。MMTは確かに、政府財政における本質的な制約は政府の資金にではなくその時々の生産資源の存在量にあることを強調する。しかしながら、MMTは他方で、財政赤字が金利上昇もクラウド・アウトも起こさないという主張を、完全雇用でも不完全雇用でも成り立つ一般的な命題であるかのように論じ、それを用いて「場合によってはクラウド・アウトが生じる」とする正統派の立場を批判している。それは、MMTが基本的には「永遠の不完全雇用」を前提とする理論であること、そして時々思い出したように言及される「資源の制約」がその分析上は何の役割も果たしていないことを意味する。
(以下、MMTの批判的検討(5)に続く)

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

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