アステイオン

台湾

スポーツの国際大会では、なぜ「チャイニーズ・タイペイ」と呼ぶのか?

2023年05月31日(水)08時15分
野嶋 剛(ジャーナリスト、大東文化大学教授)
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中華民国体制の残骸

金門は、福建省アモイから距離およそ10キロ。まさに目と鼻の先という言葉がぴったりくる。

かつて中国は、この金門を攻略するために連日大量のロケットを打ち込んだ。台湾海峡危機は金門から起きると考えられていた時期は1970年ごろまで続いた。

だが、中国軍の実力が台湾をはるかに凌駕するようになった今、その戦略的重要性は大きく減退している。

だが、それでも台湾にとって、金門は同じように大陸に近い馬祖と並んで特別な場所のままである。なぜならそこが「中華民国福建省」の省政府が鎮座していた場所だからだ。

日本がポツダム宣言の受託で放棄したのは「台湾および澎湖諸島」だった。戦前、金門や馬祖を日本は統治していなかった。

「台湾」と金門・馬祖は国際法上も別々の存在である。しかし、戦後の国民党台湾撤退のなかで、金門・馬祖は大陸反攻への拠点と位置付けられ、「台湾の一部」と広く誤解されたまま今日に至っている。

金門の中心街にある「金門県政府」から近く、大通りから少し入った場所に「福建省政府ビル」が建っている。中はがらんとしている。数人の管理人しかいない。

しかし、中華民国福建省は台湾の領土地図のなかで中華民国が「中国政府」であることの、ささやかな、それでいて重要な「証拠」になっているのだ。

ほかにも台中には最近まで「中華民国台湾省政府」があった。台湾の街中でも「台湾省」というナンバーをつけたオートバイが走り回っている(すでに台湾省ナンバーの新規発行は停止されている)。

台湾東部の宜蘭県に行くと、「釣魚台(尖閣諸島)は中華民国の領土だ」という看板がある。日本人はほとんど知らないが、尖閣諸島の地番は「台湾省宜蘭県頭城鎮大渓里釣魚島」であり、台湾省の附属諸島という位置付けになっている。

台湾にはこれだけ「中華民国」の残骸がセミの抜け殻のようにあちこちに散らばっているのだ。

国民党の台湾撤退からすでに70年以上が経過した。大陸から台湾に渡ってきた「外省人」も第3世代から第4世代に入っている。

先の統一地方選で台北市長に当選した蔣万安も「蔣介石のひ孫」、つまり第4世代に属する。彼を親中派と見る向きも日本にはあるが、ここまで世代を重ねると、中国意識は乏しくなり、台湾生まれ、台湾育ちの台湾人と自らを考えるのが自然だ。

同時に、国名である中華民国もまた人々の意識のなかで一種の記号として現れたり、現れなかったりするのである。それはまるで英国の国名が「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」であるのと似たようなものかもしれない。


野嶋 剛(Tsuyoshi Nojima)
1968年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、朝日新聞社入社。シンガポール支局長、台北支局長としてアジア報道に携わる。その後、フリーとなり、現在、大東文化大学社会学部教授をつとめている。専門はメディア論、ジャーナリズム論、中台関係、アジア政治。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『台湾とは何か』(ちくま新書、樫山純三賞)、『香港とは何か』(ちくま新書)、『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)など多数。


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