
佐伯 音楽もお料理もお茶も、送り手と受け手のコミュニケーションがずれてしまうと、その良さが伝わらないのですね。
しかも、その「良さ」自体がかなり主観に左右されます。文化的な価値は画一的でも絶対的でもなく、流動的なところが面白く、かつ難しいところですね。
音楽は耳で聞き、料理は口で食べるなど身体性のあるものなので、共通性があるようにも思います。桑原先生がお食事されるときにお好きなBGMなどおありでしょうか。
または、「これは守るべき」というゆずれない価値観などがおありでしたら、教えていただけますでしょうか。
桑原 私は音楽を聴くと分析してしまうのですが、例えばBGMを意図的に聴かないようにすることもできます。しかし、多くの人は耳に入ってきてしまう。聴くことも見ることも味わうことも、本来はとても難しいことです。

熊倉 桑原さんが音楽を言語化して伝えようとするのは、とても近代的な姿勢です。お茶の世界でも「説明するな」と言われるけれど、今はそれでは通じません。
説明のレベルにも差がありますが、どのように言葉にして伝えるかは、これからますます大事になると思います。
佐伯 お料理では、うんちくを読んでから食べるとおいしく感じることもある一方で、情報がノイズになることもあります。村田先生はいかがでしょうか?
村田 料理屋としては値打ちをつけたくてしゃべってしまいます。「それは月夜で採れた伊勢海老です」と言ったほうが、お客さんが納得しやすく、有難いと思ってもらえるからです。しかし、本来は言わなくても伝わるべき世界です。見て、感じて、理解してもらいたい。
茶事ではお呼びするお客さんの理解度を考えて道具を選びます。しかし、料理屋はお金をもらって来てもらうので、お客さんの層がバラバラです。仲居さんには「霧のように入って、霧のように出て」と言っていますが、説明の境界が難しい。
佐伯 「位」や「間(ま)」は、なかなか翻訳するのが難しい表現ですが、お能の場合にも「位」は重要な概念です。しいていえば、「品格」「品位」というものでしょうか。
また、音楽も料理も、日本の四季に根差した文化ですが、今は季節感が失われつつあります。そのような中で、伝統文化のどこを守り、どこを変えるべきでしょうか?
熊倉 例えば、ナスもキュウリも今では一年中スーパーマーケットに並びます。私たちは季節に全く関係なく生かされているわけです。毎日おいしいものを食べることを選んだ結果、元に戻ることは難しいので、「変化した日本」で何ができるかを考えるべきだと思います。
桑原 音楽も変わり続けています。私も新しい言語を掘り起こすような感覚で作曲しています。
