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戦争

戦後80年、パラオに今も眠る「1086人の日本兵」...遺骨収集チームがぶつかる「壁」と4年後に迫る「タイムリミット」とは?

2025年12月10日(水)11時00分
菊池誠一(昭和女子大学名誉教授)

戦没者遺骨収集の歴史と収集の流れ

厚生労働省(以下、厚労省)によれば、海外などで戦没した日本兵士・軍属等は約240万人という。旧厚生省は1952年から遺骨収集をはじめた。

また、海外渡航がしやすくなると遺族や戦友による遺骨収集もおこなわれ、これまでに収容した遺骨は約128万人、未収容の遺骨は約112万人という。

そのうち、海底に没して収集困難な遺骨や相手国側の事情により収集ができないこともあり、現在のところ、約59万人の遺骨を中心に国の責務としての遺骨収集事業が実施されている。

パラオのある中部太平洋地域は、未収容の遺骨が多い戦域である。国は遺族や関係者の要望をうけ、2016年度に、遺骨収集を集中的に実施する5年間の「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」を超党派の賛成で制定した。

コロナ禍により、この法律は2029年度まで延長されることになった。この法律の制定に伴い、2016年に厚労省の外郭団体として、一般社団法人日本戦没者遺骨収集推進協会(以下、推進協会)が設立された。

では、わたくしが参加しているパラオ(ペリリュー島の集団埋葬地)における戦没者遺骨収集の流れをみていこう。

遺骨収集は慰霊事業でもあり、推進協会の職員と推進協会を構成する社員団体(日本遺族会、水戸二連隊ペリリュー島慰霊会など)、人類学専門員、そして考古学専門員でチーム(10人ほど)をつくる。

日本人の考古学研究者が海外の遺骨収集に派遣されるのは、パラオが初の事例である。それはパラオの法律により、日本兵の遺骨収集といえども、発掘という行為を伴う以上、図面や写真撮影とその後の報告が義務付けられ、また現地の文化遺産を破壊から守るためでもある。

パラオに着いた派遣団は在パラオ日本国大使館や現地政府と打ち合わせをおこなう。そして、高速ボートで青い美しい海を1時間ほどわたるとペリリュー島につき、州政府と打ち合わせた後に、いよいよ遺骨収集となる。

1086人の日本兵が埋葬されたという墓地は、鬱蒼としたジャングル内にあった。埋葬地の樹木の抜根や伐採は現地のワーカーさん(10人ほど)が大きな戦力だ。

そして、表土を剝ぎ、硬い石灰岩破砕礫を含む層をツルハシなどで掘り進める。するとポッカリと穴が空く。穴から遺骨がみえる。空隙は肉体が無くなった部分だ。

丁寧に掘り進め、遺骨の全身をあきらかにしていく。社員団体の方は、熱心にその作業をすすめる。ときたま、その作業過程で手榴弾や不発弾があらわれ、パラオにおいて不発弾処理をするノルウェーのNGOが対応する。

全身骨が明らかになると考古学チームは写真撮影、図面作成の迅速化のために三次元計測などを実施し、そして人類学者の指示のもと社員団体の方が遺骨をとりあげ、洗骨をする。現場ではこのような流れとなる。

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