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住民投票は「平和の処方箋」か「新たな火種」か...「もっとも民主主義的」な意思決定手段の魅力と限界

2025年09月24日(水)11時00分
藤川健太郎(名古屋大学大学院国際開発研究科准教授)

この問題に取り組んだのが、Routledge社より刊行した拙著『Post-Conflict Referendums and Peace Processes: Pathways to Peace and Democracy?(紛争後の住民投票と和平プロセス:平和と民主主義への道?)』だ。

拙著では、国連高官経験者や関係諸国大臣経験者も含めた70名ほどのエリートインタビューを実施し、エリトリア、東ティモール、南部スーダンの3つの住民投票を分析した。検討した問題のひとつが、住民投票がもともと存在した紛争(例えばインドネシアと東ティモール間)の解決に与えた影響だ。

まず、さきほど取り上げた住民投票支持派・否定派の研究者の論理は、いずれの事例においても、妥当しないことが明らかになった。

独立に反対だった勢力は、住民投票の結果に高い正統性を感じ、納得して独立を受け入れたわけではない。他方、住民投票に選択肢が二つしかないことが暴力の原因となっている、とは東ティモールの事例においてすらいえなかったのである。
 
では何が紛争解決の成功を導いたのか? 

住民投票の正統性よりも重要だったのは、結局のところ政治的・軍事的パワーだった。これらの事例では、住民投票実施を積極的に支持・支援したアクターが、十分な政治的・軍事的パワーを持っていたからこそ、住民投票が実施され、もともと存在した紛争の解決につながったのだ。

もっとも、国際社会の監視のもと、ある程度正確に民意を確認することができたことで、中央政府と国際社会にとって、住民投票の結果を尊重・実行することが容易になった面はあった。

拙著では、住民投票の結果成立した新国家内部(例えば東ティモール内部)に住民投票が与えた影響も検討したが、総じて住民投票は、紛争解決と平和を自動的にもたらす「魔法の杖」ではないという結論に辿りついた。

「もっとも民主主義的」な手段である住民投票は魅力的だ。しかし、憲法にしても、全ての国で国民投票を通じての改正が規定されているわけではない。領土の主権を巡る問題であっても、チェコスロバキアの解体など住民投票なしで変更が行われることもある。

結局のところ、住民投票をすれば重要な問題も簡単に解決できる、などというのは幻想に過ぎない。そもそも住民投票や国民投票が必要なのか、必要だとすれば何故なのか、何故議会では不十分なのか、根本に立ち返って考えなくてはいけない。

その答えは簡単に出せるものではない。ただ、独立を巡る住民投票については、私自身、拙著や論文(Territory, Politics, Governance誌掲載)で、その必要性と意義を検討してきた。

現時点での私の回答は、住民投票の最大の価値は、当事者同士の合意のもと自由公正に実施されれば、議会での意思決定と比べて、市民の意思をより正確に確認できることだ、というものだ。逆に言えば、市民の意思が明らかであれば住民投票は必ずしも必要ないのである。


藤川健太郎(Kentaro Fujikawa)
2012年東京大学法学部卒業。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス国際関係論学科博士課程修了。同フェローを経て、現在、名古屋大学大学院国際開発研究科准教授(「安全保障論」「平和構築論」担当)。専門は、発展途上国の国際政治・比較政治。近著にPost-Conflict Referendums and Peace Processes: Pathways to Peace and Democracy? (Routledge, 2025)。「分離独立問題の解決:住民投票利用の理論的根拠の探求」というテーマで、サントリー文化財団2018年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。


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 『Post-Conflict Referendums and Peace Processes: Pathways to Peace and Democracy?(紛争後の住民投票と和平プロセス:平和と民主主義への道?)』
 Kentaro Fujikawa[著]
 Routledge[刊]

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