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芸術には国境がない。この言葉は、芸術の審美的経験が言語や文化を超えて共有できるという意味でよく用いられている。しかし、それが芸術家の活動地域と結びつけて語られることはほとんどない。
そもそも「国境がない」芸術は西洋起源の音楽や美術をイメージすることが多く、非西洋の芸術はしばしば「民族的」「伝統的」といった修飾語がつけられており、ほとんどの場合、地域性や特殊性を含意している。
一方、大航海時代から人の移動は拡大しつづけ、とりわけここ2、30年、交通手段の発達、情報通信技術や人工知能(AI)の目覚ましい発展に伴い、モノや情報だけでなく、人の往来もさらなる飛躍を遂げた。
トランスボーダーの動きはわたしたちの身近で日常的に起きており、異質性が文化対流のなかで出会い、互いに溶け合う現象はさまざまな局面において生起している。
文学や芸術も例外ではない。ヨーロッパでもアメリカでも、非西洋出身者が音楽家として、美術家として活躍しており、ローカルな美学や感性は前衛的な表現手法として芸術創造の新たなフロンティアの開拓に刺激を与えつづけてきた。
その動きを可能にし、かつ加速化したのは境界を越えて活躍する芸術家たちである。
『アステイオン』99号の特集「境界を往還する芸術家たち」では日本を視座の中心におき、ヨーロッパ、アメリカ、南米で活躍する日本人や日系人の芸術家たちの活躍を複数の視点から捉えてみた。
すでに超域性が多く論じられてきた文学に加えて、これまであまり関心が向けられてこなかった音楽や絵画などの分野も含め、境界を往還する芸術家たちの足跡を追った。
境界を往還する芸術家はおおよそ2種類に分けられる。
1つは海を渡って、音楽や美術の本場で創作や表現の技法を磨き、やがてそれぞれの領域の頂点を極めようとする人たちである。もう1つは移住や海外出稼ぎを目的に出身国を離れ、現地で創作活動を始める人たちとその末裔である。
このような芸術家の活動は特徴的な芸術表現をもたらす。記号学の重力場において、前者の場合、すべての引力が音の響き、あるいは色と線の形式美や様式の独創性に収斂していくのに対し、後者の場合は共同体の記憶に躓きやすく、実存との相対関係において、しばしば形式美の受肉が期待される。
ただ、その二者は必ずしもすべての場合において歴然とした一線を画せるとはかぎらない。濃淡の違いがあるものの、前者のなかに後者の表徴を見いだすこともあれば、逆の場合もある。
vol.101
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