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文学や歴史や芸術など、人間の手あかのついたものごとを対象とする批評は、私情や思想をもとにして、「メロディ」や「リズム」を紡ぎ出し、独立した音楽を奏でるアンサンブル(合奏)のようなものだと私は考える。
楽器の編成やメロディの重層性、リズムの変化、「間」に気を配り、意味を込める力は、指揮者(識者)の知性や筆力、感性や生理によるところが大きい。
與那覇潤の『平成史』は、生乾きの歴史から、重層的なメロディや複雑に変化するリズムを紡ぎ出し、独立したアンサンブルとして展開した大著である。
與那覇は平成の政治、経済、社会、文化、思想、サブカルチャーなどに関する異なる言説を、「楽器」を奏でるように展開し、平成史をアンサンブル=批評として浮かび上がらせることに成功している。
與那覇潤・著
『平成史―昨日の世界のすべて』
(文藝春秋、2021年)
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この試みは、歴史を主観的な解釈を通して詳らかにする小説や、史実を実証的に説明する研究書の何れでもなく、フッサールが言う意味で「間主観的」な、主観と史実を総合した作品と言える。
かつてルカーチは『小説の理論』で、問題的な個人の生と、偶然的な世界の間の亀裂を「総合」する表現の形式を「近代小説」と定義したが、この本はこの意味で「文学的な歴史書」である。
本書は、大枠としての平成史を、昭和天皇と社会主義の「死」、すなわち「左右の2つの芯棒」が折れたことからの「再建と挫折の物語」として捉える。
平成日本が、グローバル化とIT革命の進行の中で、オフラインとオンラインの双方で現実を拡張し、人々が反知性主義と経済格差の問題に直面し、アイデンティティを見失い、迷走してきたというのが、大雑把な見立てだ。
與那覇らしい「痒い所に手が届く」ような参考文献の多彩さも、この本の読み所と言える。彼は平成という時代を、年代別に様々な識者の文献を参照し、多様な論点を提起しながら「生々しいもの」として肉付けしていく。
要点を拾えば、政治の上での「平成史」の特徴は、小泉政権以来、首相官邸という国家権力の中枢がインターネットを通して民意と直結し、論理よりも「キャラと感情」の時代となったことにある。
vol.101
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