アステイオン

未来

想像の未来とその向こうの今

2020年05月29日(金)
堀江秀史(東京大学大学院総合文化研究科助教・2016年度、2017年度鳥井フェロー)

kohei_hara-iStock.

2019年12月発行の『アステイオン』91号は、よく売れたそうである。「可能性としての未来」と銘打たれた同号の特集では、「100年後の日本」を、世代と性別、そして専門を異にする、主として国内の学者たち計64名が論じている。本稿は、この評判を呼んだ特集を記念したイベントの報告である。イベントは、2020年1月24日、東京大学駒場キャンパスⅠにて開催され、池内恵・東京大学教授と待鳥聡史・京都大学教授の両講師に対して、『アステイオン』編集部の小林薫氏が質問するかたちで進められた。

特集論考に寄せて

講演はまず、両氏がこの特集に寄せた内容を掘り下げるかたちで始まった。

池内氏は特集の締めの位置に、「一〇〇年後に記された「長い二一世紀」の歴史」と題した黙示録を寄せている。その要諦は、デジタルメディアの隆盛による区分の喪失である。近代において重要視された百科事典的で体系的な情報は、「ガリ勉」によって個人の頭へと移管され、それが頭の良さと見做されてきた。しかし現在、情報は無数にクラウド上に保管され、そこにうまくアクセスし、それらを統合できることが頭の良さの証明として受け取られるようになっている。自動翻訳の発達で、言語的な障壁も取り払われつつある(特集の論考では、文字情報と音声、映像情報との区別も失われるとしており、これは日常的なインターネットの使用経験からよく理解される)。情報を何語で認識したかは不問となり、またそれを誰がいつ発したかも問題にならない状況が生まれつつある。即ち、名前や行動の日付など、ラベル的な情報によって統合されていた個別具体性(オリジナリティやアイデンティティ)が、喪われていくのである。また、英語学習がますます重要視され、事実上の世界言語となりつつあるいま、英語は翻訳の媒介を担う言語となっている。このことが、翻訳機にかけたときに英語に直しやすい言葉を選ぶというかたちで、日本語をも変容させるとした。

関連して待鳥氏は、国外逃亡したカルロス・ゴーンが海外で行なった会見の訴求力に触れ、海外への発信力は、欧米言語的な思考に馴染みやすい言葉選びや論理構成を身につけることが肝要だが、日本語と欧米言語には開きがあり、日本語を基盤にものを考えることが、海外への発信力の弱さとなっているとみる。その繋がりから、池内氏が触れた、日本語の英語変換の問題を興味深く思うとした。言葉とは思考そのものであり、英語(になり易いかたち)でものを考えることは、思考様式の変化も意味する。そしてその変化は、日本文化そのものの変容をも導く。これは今後どう考えていくべきか、と問いを開いた。

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