アステイオン

サントリー学芸賞

『サントリー学芸賞選評集』受賞者特別寄稿vol.5 十九年越しのお礼

2020年04月28日(火)
東 浩紀(批評家)

SUNTORY FOUNDATION

受賞の連絡をもらったのは、短期の語学留学で滞在していたパリの宿舎だった。受賞作の『存在論的、郵便的』は、フランスの哲学者を扱った博士論文である。出版後に語学留学に行ったことからわかるとおり、フランスの哲学を専門にしていたにもかかわらず、ぼくはフランス語がたいしてできなかった。そこには、この著作が誕生した複雑な経緯が関わっている。

ぼくが『存在論的、郵便的』を記した1990年代は、日本で本格的な大学改革が始まり、伝統的な人文学が権威を失い始めた時代だった。哲学を学ぶためには必ずしも哲学科に行く必要はない、生きた哲学は大学の外に飛びだすものなのだ、とまことしやかに語られた時代でもあった。ぼくはその時代の空気を一身に浴びて学生時代を送った。だからぼくは「表象文化論」なる新設の専攻を選び、博士論文の各章もまず商業誌で発表することを選んだ。結果として受賞作は、現代哲学の問題を従来の研究にない切り口で取り出す仕事になったと、いまでもその点は自信をもっている。

しかしそれは、受賞作にとっては必ずしも幸せなことではなかった。いま記したとおり、ぼくは同書の脱領域的な方法は、当時の大学人が語っていた理想そのものだと考えていた。だから歓迎されるはずだと考えていた。けれども現実はそれほど甘くはなかった。むしろ当時聞こえてきたのは、哲学科出身でもフランス科出身でもない「素人」が徒手空拳で哲学書に挑んだことに対する、嘲笑にも似た批判ばかりだった。出版後に慌てて留学を企てたのは、そのような状況に強い劣等感を感じるようになっていたからである。とはいえ、そんな動機の留学がうまく行くはずもなく、ぼくはパリでノイローゼになりかけていた。

受賞の報は、そんなときに突然届いた。それがどれほど当時のぼくに勇気を与えてくれたか、その大きさはいくら強調してもしすぎることはない。学芸賞は、長いあいだ、同書に対するほぼ唯一の目に見える評価だった。評価の声が聞こえるようになったのは最近になってからだ。

あれから19年が過ぎた。いまのぼくは、19年まえのぼくより、19年まえにぼくを批判した人々にはるかに似ている。哲学史についての知識も、アカデミズムの価値についての理解も深まり、受賞作の欠点もいまならば手にとるようにわかる。だから批判に不満を言うつもりはない。けれども、当時のぼくは、つまり1990年代の日本に生きたぼくは、あのようなかたちでしか哲学を行うことができなかったし、それはそれでひとつの現実だった。そしてその現実を評価できたのは、サントリー学芸賞だけだったのである。

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