アステイオン

言語学

『ポストモダンを超えて』について

2016年06月16日(木)
三浦雅士(文芸評論家 ・21世紀日本の芸術と社会を考える研究会代表)

むろん、突然変異によって言語本能が発生したとするチョムスキーの仮説は一般にはほとんど受け入れられていない。動物行動学者ダンバーらの学際的研究「ルーシーから言語へ」プロジェクトにしても、あるいは認知心理学者トマセロらの進化人類学的研究にしても、漸進的な言語獲得を標榜している。とはいえ、人類がおおよそ10万年前、東アフリカを起点として世界に適応拡散していったという見取り図はいまではほとんど定説となっており、チョムスキーの仮説がその説明として強い説得力を持つことは否定できない。突然変異とまでは言わなくとも、何らかの契機によって言語能力が一挙に高まったとでも考えなければ、人類のこの飛躍の説明はつかないだろう。いずれにせよ、問題は、人類がいまや誕生から現在にいたるまでの自身の経歴の概略を手にしたということであり、これによって自然科学、社会科学の様相も大きく変わってこざるをえないということである。言語起源論の是非はどうであれ、言語学の現在をその新しい知見から繰り返し説明するチョムスキーの流儀はきわめて正当であると思われる。

今回、芸術の現在を広い視野から眺めようとして始められた研究会の記録を一冊の単行本『ポストモダンを超えて』として刊行するにあたって、結果的に浮上してきたのがポストモダンおよびアジアという主題だった。ポストモダンは、多く20世紀前半と重なるモダンに対してそれ以後を指す語としていまや定着した観があるが、モダンもポストモダンも時代意識の強さを示す語として共通性を持つ。そしてその強い時代意識を示す語の真正面に登場したのが、現生人類がたかだか20万年ほどの歴史しかもたず、その最大の特性である言語を用いて、先史考古学者タッタソールのいわゆる「惑星の支配者」に成り上がるのにさえわずか4、5万年を要したにすぎなかったという事実である。

広義の人類はいざ知らず、現生人類の経歴がたかだか10数万年にすぎないということ、すなわち現生人類は地球上においてじつに若い種であるという事実は強烈である。先史考古学がもたらす情報は年々歳々更新されてゆくが、たとえばドナウ川、あるいは揚子江の古代文明は往年の四大文明に比肩するほどであるという。東アフリカを起点とする人類移動史の一齣として、これからさらに多くの事実が明らかにされてゆくだろうことは疑いない。ポストモダンという語はむしろこのような知的潮流を待ちかまえていたのではないかと思えてくるのは、アーサー・クラークのSF『地球幼年期の終り』のような本を思い出してしまうからだろう。それにしても、視野が拡大され、また同時にその領域も明瞭になってくると、これまで相対的に論じられること少なかったのがアジアであることが鮮烈に浮かび上がってくる。長く西洋史の付録扱いされてきたのであって、本格的に論じられたことなど一度もなかったとさえ言っていいほどだ。

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