まず、「(治療法による死亡リスクの違いを分析するときに使う)カプランマイヤー曲線について話したい」と求めるKalanithiに対して、Emmaは、「Absolutely not(絶対にしません)」ときっぱり拒否した。Kalanithiは、「医師同士なのに!」と憤慨したが、Emmaはその代わりに「治療法については後で話し合います。職場復帰についても」と話を進める。

 生存がかかっているというのに職場復帰などということを語る主治医にさらに憤ったKalanithiだが、後にEmmaが正しかったことを彼は悟る。

「死ぬ」選択は、「生きる」選択でもある。

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 Kalanithiは、職場復帰しただけでなく、ぎりぎりまで自分の痛みをこらえながら脳外科医として執刀を続ける。そこには、最後の最後まで、「自分の人生の意義とは何か?」を考え、葛藤し続けたひとりの人間の凄絶な生き方がある。

 彼が執刀する最後の手術の場面を読んだ人は、「末期のがん患者に脳外科医として職場復帰させるアメリカの懐の深さを感じる」と感心するかもしれないし、「私なら、ここまで肉体を酷使せずにできることを探す」と思うかもしれない。

 完治不可能ながんに罹患していることがわかって、自分のもとから去ろうとしていたガールフレンドと結婚し、不妊治療をしてまで子どもを産んだKalanithiの選択を利己的だと思った読者もいるようだ。

 だが、それは彼と彼の妻が当事者として悩み、選んだ人生なのだ。

 Kalanithiが患者として初めて悟ったように、当事者の目の前に広がる風景は、傍観者のそれとはまったく違う。

 私ならどうするのかは、その立場になってみないとわからない。

 だから、私は彼の人生を分析・評価するつもりはまったくない。

 私たちにできることは、「自分に与えられた人生を、自分なりに意義があるものにする」だけだろう。

 それが手遅れになる前に。