話が少しそれたが、ワイリーの作品の本質は、独自の世界からのトランスレーション、翻訳的な置き換えだ。そこでの重要なプロセスは2つある。
1つは、彼を取り巻くさまざまな世界、日常の不協和音やささいな動きに同化して入り込むこと。そこには瞬時に変わりゆく虚ろげな美や詩的な感覚がしばしば存在するが、それに感じ入り、見逃さないことである。
もう1つは、そうした壊れやすい日常に、彼が長年学んできた詩や文学、哲学の世界をごく自然に織り込ませているが、その文学的、哲学的な感覚の中で感じ取っているムードを、今度は写真という二元的な世界に翻訳しているということだ。
それがワイリーにとっての写真だという。自分の言葉で表現し切れないものを写真は補助してくれる、と。また、「今のハイパーなスピードと情報過多の時代、つい見逃してしまいがちな大切なものを、瞬間を、写真は私に改めて認識させてくれる」と彼は言う。
【参考記事】少年のように、時には素人っぽく――戦争写真家が撮る日常
それは、皮肉にも彼がノン・プロフェッショナルだからこそできるのかもしれない。ワイリーはこう言った。
「プロでないからこそ、できる。もちろん本職の写真家を尊敬しているし、時にはアサイメント・プロジェクトみたいな写真も撮りたい。だが、プロでない私は、その点は締めているし、クライアントや読者の嗜好、ビジネス、政治的・社会的動向、そうしたものに束縛される必要はない。自分自身の好みとアート性だけを追って写真を撮り続けられる。ラッキーなことに、本職で写真を撮る時間がけっこうあるしね」
今回ご紹介したInstagramフォトグラファー:
Matthew Wylie @m_mateos