今回の事件の場合、お互いが強い「被害者意識」を持っているということが、問題を深刻にしています。黒人コミュニティの側は、白人警官が「黒人イコール暴力的」という恐怖心から事件を起こしたのなら、それ自体が「悪質な差別」であり、自分たち全員が被害者だという強い感情と確信を持っています。

 一方で警官を支持するグループ、そしておそらくは問題の警官の周囲は「こうした問題が起きると、常に白人は差別する側、つまり悪だという決め付けを受けるが、これにはもう我慢がならない」という、こちらも被害の感覚、そして強い怒りを持っていると思われます。

 暴動自体が収束に向かう一方、社会の関心は「大陪審」に向かっています。こちらの方は審理が始まっているようですが、厳重な箝口令が敷かれる中、判事サイドからは「相当に時間をかける」というコメントが出ています。簡単には起訴・不起訴の決定には至らないようです。

 仮にブラウン氏が、相手が正当防衛をしなくてはならないほどの、あるいは警察の行動規程において発砲されても仕方がないほどの暴力を行使していた、そのような可能性があるにしても、一旦は警官のウィルソンを起訴して、透明性の確保された法廷で検察と弁護人による真相解明と情報公開を行うことは必要だと思います。

 しかしミズーリ州の警察の内部規程を見ると、全く事件性を問われない、つまり不起訴になる可能性もあるようで、仮にそうなった場合には、改めて人種間の対立、あるいは社会的な分裂が起きる可能性もゼロではないと思います。