でも僕は、これが僕個人の問題だったとは思わない。これこそ、概して教師やチューターたちが労働者階級の子供たちに対する態度なのだ。そこには反射的で無意識な階級バイアスがある。筆記試験は僕の救世主だった。筆記試験なら、試験官は人物を評価するのではなく、論旨と回答を評価する。筆記試験では、誰も僕のがさつなエセックスなまりを耳にしない。

僕と同じような育ちのイギリス人たちはしばしば、学生時代のこうした逸話を打ち明け合う。僕よりずっとひどい経験談を持っていて、挙句の果てに僕よりは恵まれない結果になった友人たちもいる。僕たちの共通のテーマは僕たちの「驚くような」試験の好成績、それに中流階級の仲間たちの「嘆かわしい」成績、などだ。

教師はいつも「育ちの良い子」が僕たちよりいい成績を取るものだと思っていた。だから、実際の試験の成績を主観的な総合評価にすげ替え、(必ずしも全てのケースではないが、一般的に何千何万というケースで)人並みに賢い上流階級の子供たちがほとんどの科目でAやB評価をもらいマンチェスター大学やブリストル大学といった名門大学への道を進む一方で、同じくらいの学力の労働者階級の子供たちはBやCをつけられてエセックス大学やコベントリー大学など中堅大学に進むことになる。

イギリスの教育制度の奇妙な点は、これらの大学の授業料が全て同じで、オックスフォード大学に進もうがハル大学に行こうが学生ローンで抱える借金は同じで、それなのに卒業後のキャリアと将来の所得には大きな差が出るという点だ。不公平なことこのうえないではないか。