カーシムがこのような政策をとったのは、クーデタからわずか一年の間である。その後彼は独裁色を強め、アラブ・ナショナリスト軍人によるさらなるクーデタを受けて、殺害されてしまうのだが、わずか一年の経験が「善政」と記憶され、長くイラク人のイメージに残っている。イラク戦争後、フセイン政権が倒れて政治的自由を謳歌したイラクでは、バグダードをはじめ全国で、カーシムの肖像画が掲げられた。シーア派のイスラーム主義を賛美する週刊誌に、カーシムの偉業を称える特集が組まれたりする。サッダーム・フセインは若い頃カーシム暗殺事件に連座したことがあるので、その怨念もあるのかもしれない。
つまるところ、ザハ・ハディードの父親世代は、すべてのイラク人にとって、失われた良き時代のエリートなのだろう。イラク人だけではない。この世代の亡命者をイラクから多く受け入れてきたイギリスもまた、かつての植民地支配相手への未練があるのかもしれない。
などと考えていたら、同僚が教えてくれた。イギリス間接統治時代の王族、ハーシム一族の末裔たるシャリーフ・アリーの名前が、組閣中の現イラク政府の外相ポストに上がったとか。シャリーフ・アリーは、イラク戦争前にアメリカが、戦後イラクを担う人材を探していた際に、イギリスが「この人はいかが」と提案した人物だ。それまでは全く知られていなかった人物で、戦後は生き馬の目を抜くような現実の権力政治のなかで、早々に姿を消していた。
イギリスは「古き良きイラクのエリート」にまだ期待を抱いているかもしれないが、肝心のイラクはどうだろう。