ある日、副校長先生に強く叱責されたことをきっかけに、「学校はつまらないから、もう行かない」と家でゲームをしているようになりました。

「忘れ物が多く、落ち着きもない。ADHDではないか。専門医を受診するように」と養護教諭から言われ、クリニックに両親が来院しました。

J君の姿はありません。両親は「本人は、絶対に受診はしない」と断言しました。

それには、こんな背景がありました。

養護の先生から、ADHDと指摘されたことにショックを受けた母親は、すぐに母方の祖父に相談しました。そして、祖父が選んだ医療機関にJ君を連れていったそうです。

このように、母は困ったことがあると、夫ではなく自分の父親を頼りにすることが多かったようですが、問題はそのやり方でした。

母親はJ君に「自分が病院へ行くので、付き添ってほしい」とウソをついたのです。

それは本人に余計な心配をさせず、速やかに受診させるためという、祖父のアドバイスでした。

ところが、母親の付き添いのつもりで病院に行ったJ君自身が、「まずADHDの検査を受けて、その結果次第で薬を飲むか、カウンセリングを受けるか」と医師から言われました。

騙(だま)されたことを知り、「もう二度と病院には行かない」と宣言したそうです。J君が驚き、怒り、病院に対する反発心を覚えたのも無理はないかもしれません。

そこで、私は両親から詳しい話を聞いていくことにしました。

自分で注文した料理を「やっぱりおいしくなさそう」と父親に食べさせる

J君は両親と姉の4人家族で育ちました。以前は、家族で2LDKのマンションに住んでいましたが、小学4年生になったとき、母親の実家、つまり祖父の家の敷地内に家を建てて、そこに住むようになりました。その地域の名士だった祖父が高齢になったため、一人娘の家族と近くに住むことを望んだためでした。

ちょうど父親の仕事がうまくいっていないタイミングだったため、経済的な理由もそれを後押ししました。

それ以来、J君一家の生活はガラッと変わりました。

父親は、「祖父母が加わったことで、ひとつの大きな家族のようになった」と説明しました。

まず、大きく変わったのは家族の呼び名です。

祖母が「おばあちゃんと呼ばれたくない」と言い出したため、祖母を「お母さん」、母親のことは「ママ」と呼ばされるようになりました。さらに、いつのまにか、祖父を「ボス」と呼ぶようになりました。

また、祖父母がJ君の父親のことを下の名前で「○○君」と呼ぶため、J君も父親を「○○君」とか「○○ピー」と呼ぶようになりました。

J君の母親は仕事が忙しく、家事があまり得意ではありません。もともと几帳面(きちょうめん)できれい好きな父親が掃除や洗濯、料理を黙々とこなしていました。それだけでなく、妻の実家から経済的な援助を受けている負い目からか、祖父宅の買い物や病院への送迎なども率先して行い、雑用を一手に引き受けるようになりました。

一番偉いのは祖父で、次は自分
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